【 川と森、白神へ 】

 

                                            旅の始まり

 

                                 第一部 川の旅

 

                                              パートナー

                                              旅の道

                                              そして、川へ

                                              いやしの木

                                              岩魚たち

                                              川の旅人

                                              旅の仲間

 

                                            海へ

 

                                 第二部 森の旅

 

                                              禁じられた旅

                                              そして、森へ

                                              森の道「マタギ道」

                                              奇跡の森

                                              奥二股にて

                                              最後の森

 

                                            旅の終わり

 

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 久喜インターから、東北自動車道路に入り、日常と離れ、車と一体になり無意識に運転しだした時、

暗いフロントグラスを見ていると、わくわくとして幸せな気分になります。この先の長い旅路を考え、

そして、その後に続く冒険に思いを寄せていると、気分も落ち着いてきて。 

やがて、過去の旅が一つずつ浮かんで来ます。タイムマシンは、夜中のフリーウェイを走り続け・・

 

              旅の始まり

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 白神を、初めて訪れたのは10年以上前の事でした。

当時、開発していたPCのソフトが奇跡的な成功を遂げて、皆が幸せな時でした。特に開発元の会社

の部長は、一時は、絶望的な状況からの完成だったので私に何かお礼をしたいと言っていました。

 

 よくある話しで、夢と希望に満ちて一年前に始まったプロジェクトが、納期の一月前に破綻しまし

た。ガス販売会社によるプロパンガスの配送・請求システムの開発でした。 報道発表を一ヶ月後に

控えた日、後援するコンピュータ会社の高層ビルの会議室で、関係者を集め対策会議が開かれました。

開発の責任者は、皆で正直に意見を言い合うために会議からは外されていました。

 一週間前から調査した私の、絶望的な報告を聞いたお偉方の面々は、言葉も無く座っていました。

ベーシックで組まれたプログラムは、スパゲッティの様に絡み合い、お互いを傷つけあい、変数は、

其の名の通り無秩序に替わり続けていました。私の、スタッフの一人は他人の組んだあんな汚い物を

触るくらいなら自殺すると、バグの修正を拒否していました。

 当時、無所属のレスキューのスペシャリストとして密かに知られていた私の、

「デモ版なら、一ヶ月で新規に作成出来る」と、言う提案に、お偉方は無条件に乗ってきました。

元の責任者は、文句を言わせ無い様に一ヶ月間のアメリカ出張になり、開発チームは解散されました。

 入れ替わりに、外から入った私達のチーム(たった3人でした)とコンピュータメーカーの応援部隊

の2名とのプロジェクトチームが発足しました。当時、メーカーの用意してくれた虎の門の開発室は

「虎のオリ」と言われていました。

 

  私のチームの、何時も、自殺しそうな暗い顔の、ベース関数開発担当者。

  同、週刊マンガを脇に、信じられないスピードでプログラムする、インターフェース開発担当者。

  エアーガンで、前任の開発責任者の写真を打ちまくる、メーカーの応援部隊の連中。

  私は丁度、腎結石の石が動き出し、いつも、寝台代りのソファーで唸っていました。

 

慰問に訪れた開発元のガス会社の部長は、いつも、来る時より暗い顔で帰っていきました。

 

 しかし、我がチームは一ヶ月でデモが出来るシステムを立派に設計・開発し、無事に報道発表され

ました。引き続き、二ヶ月で本稼動可能のシステムにアップしました。そのシステムは、全国のガス

配送会社に販売され、好評を得たのでさらに高機能のシステムを開発しました。

 ソフトの新版が出来たとき、旧版の入れ替え作業が必要になりました。大した作業ではありません

でしたが、ユーザー先での作業が必要でした。都市の近辺は、その会社の人達で作業は実施されまし

たが、東北の辺ぴな地方の10件程のユーザーが残りました。私は、ご褒美にその作業をさせてもら

いたいと申し出ました。部長は快く、経費・日当・特別手当を出してくれました。

 

 こうして、最高の季節の6月に一人での東北巡業の旅が始まりました。福島の会津地方をかわきり

に、仙台、盛岡と車で東北道路沿いに北上して行きました。日常の仕事を離れて、相手の経費持ちで

のノンビリした旅でしたが、目的は当然の如く釣りでした。当時、私は渓流釣りにハマッテいました。

午前中に、お客さんの所へ移動して仕事を終えて、午後は宿を探しながら釣りをする旅でした。

 行く先々のお客さんの所では、最初のうちは東京から来た詐欺師、良くてまじない師に見られまし

たが、ソフトの入れ替えが済み、新機能の説明を始めると、必ず劇的な変化があり歓迎されました。

そして、ソフトの事で色々話し合いました。ところが、あるお客さんで、

 

 「これは、一体何に使う物でしょう?」と、質問されました。

 

それは、金庫の中から大切に取り出された物で、箱に入ったままでした。

?・・・「マウス」でした。

インストールもされていず、ドライバーも無かったので、説明するのもシンドイものでした。

当時は、まだDOSの時代でマウスも特殊なソフトにしか使われていませんでした。

 

とっさに「そ、それは〜、お守りです」と、言って逃げてしまいました。

こうして、のどかに続いた旅は青森県の弘前市で終わりました。

 

 さあ、これからが本当の旅の始まりです。

 

 北の都、弘前市。そこは、関東の渓流釣師にはめったに探索出来ないアコガレの地でした。

豊かな自然に囲まれていて、東西南北どちらに行っても有名な渓流が有りました。 特に、ランプの

宿の青荷温泉が有る青荷川に引かれていましたが、「白神」と、言う地方の名もその独特なヒビキで

記憶に残っていました。

 

 まずは、行ってみようかと西に向かいました。

弘前の西の西目屋から、日本海の岩崎を目指す道路が弘西林道です。西目屋の部落を通り、美山湖の

ダムを過ぎた所に大川と言う名の川が有り、橋の上から見た大川は始めての白神の流れでした。

透明な水の中に、大きな魚が泳いでいました。「ドキッ」とした私は、早速、釣りの仕度をして川に

降り立ちました。半信半疑で釣った魚は、やはり岩魚では無くウグイでした。

 しかし、川の中に立ちこみ、水の色・香り・肌触り・味を感じた時、その川を本当に知ることが出

来ますし、その川の上流さえ予測が出来ます。宝石の様に透明なつめたい水に触れたとき、この川の

上流に行ってみたいと思いましたが、既に午後の2時を過ぎていました。弘前の反対側の、青荷温泉

に行くにはもう引き返さなければなりませんでした。それに、たとえ時間が有っても一人では踏みこ

めない何かが、多分、その後に控える広大な白神山地の力を感じていたからだと思います。こうして、

最初の出会いが終わりましたが、ほんの入り口をカスッタに過ぎませんでした。

 

 そして、長い旅が始まりました。

 


                                          第一部 川の旅

 

           パートナー

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 20年以上前の、あの出来事で、登山の全てを捨てた私は、以来、登山界との縁を全て切ったので、

その空虚を埋める為に始めた釣りをするのも一人っきりでした。

 

 湖でのルアー釣りを始めた時、新潟の銀山湖に魅せられましたが、広大な湖を、船外機付きの和船

で駆け巡るのは一人では寂しすぎましたし、経済的にも厳しい物がありました。

得意先のヘラフナ釣師が、渓流に憬れていました。巧みにだまして、銀山湖に連れ出しましたが、

罪悪感からか渓流にも連れて行きました。そして、私も渓流に魅せられました。

 当時、銀山湖には国道17号線で三国峠を越えて行かなければなりませんでした。そして、小出か

らさらに長大なトンネルを抜けてやっとたどり着けました。まだ、銀山湖でのルアー釣りの開拓時代、

二人で、残雪のブナ林に囲まれた湖を船外機付きの船で大岩魚を求めて駆け巡りました。

 2年後、銀山湖で目的の大岩魚を釣った時から、二人は渓流釣りにのめり込んで行きました。

新潟から、福島・山形・岩手・秋田と段々北に向かって各地の渓流を目指しました。しかし、二人と

も魚が釣れても釣れなくても、渓流に入っていれば良かったので山の麓で満足していました。

 

 そんな、彼との旅でまだ五月、山には残雪のある新潟県の五十川の支流に入った時でした。神社の

近くの舗装された駐車場に車を置いて、川に入り、釣りを始めました。駐車場には、熊に注意の看板

がありましたが、熊が怖くては渓流の釣り師にはなれません。川を遡り、岩場のある所まで登りまし

たが、魚は釣れませんでした。車からはかなり離れていましたので、その岩場から引き返すことにし

ましたが、川の左手に、木に覆われた山道がありましたので川から上がり、その道で駐車場に戻りま

した。釣り用のゴム製の長靴を脱いだとき、彼にも、そして私にも山ヒルがとり憑いていましたが、

私達は、長靴を履くときにズボンを靴下の中に巻き込んでいたので、辛うじて足は助かりました。

 しかし、敵は木の上から襲って来ていて、二人とも首筋をやられていました。血を、たっぷりと吸

った山ヒルはコロコロしていて簡単に剥がれました。

 さあ大変です、二人は急いで服を脱いで全身を点検しました。結局、血を吸われたのは一匹づつで

したが、駐車場のコンクリートの上には、10匹ぐらいの山ヒルがのたうちまわっていました。彼と

二人で、車にあったコーラの空き缶で、コンクリートの上のゴムの様に堅い山ヒルを、復讐のために

切り刻みました。駐車場の看板に、熊に注意ではなく、ヒルに注意でしたら絶対に登って行きません

でした。それからは、新潟の低い山は避けるようになりました。

 どのような場面でも、決して慌てず何時も紳士でいた彼は、トップを行く私の後方を何時も守って

いました。彼の、本心はその穏やかな表情と性格の影に隠れ、遂に理解する事は出来ませんでした。

 

 やがて、彼とも仕事の関係で別れ、また、一人で東北の渓流をさすらっていました。

 

 そんな時、会社の後輩のO君が渓流に連れていって欲しいと言ってきました。

かったるいと思いましたが、当時は珍しかった4WDのパジェロを彼が持っていたのが、引き受けた

理由で不純な動機でした。最初に行ったのは、確か、新潟のXX川でした。連休前の残雪の中、雪崩

の危険も顧みず、解禁前の渓流に踏みこみました。そして、前の年に散々払わされた入漁料の腹いせ

とばかりに釣りまくりました。その後の、緑に溢れた季節の釣りで彼は完全に渓流釣師に成りました。

 

 山にも、渓流にも、まったく経験の無かった彼は、それゆえに、私が行くどんな所にも全面的な

信頼感で盲目的について来ました。そして、山と渓流の技術と対応力を急速につけていきました。

但し、釣り技だけは例外でした。「釣れないの渓流マン」それが彼のニックネームになりそうでした。

 釣師は、一般的にセコクてセッカチで、疑い深い性格と素早い動作が必要とされますが、善いとこ

ろの家庭で育った彼は、おっとりした性格で物に動じない釣りには向かないタイプでした。

そんな彼でも釣れる所、それは源流でした。それも、地の果て津軽半島の山奥が良さそうでした。

 

 そして、私達は「白神」を目指しました。

 

 

 

              旅の道

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 津軽半島の、秋田県と青森県にまたがる広大なブナの原生林が白神山地です。

その中には、幾つもの1000m級の山と、数知れぬ渓流が有ります。海から直接始まる山肌は、

北の地にあるために、中部山岳の2000m級の山に匹敵します。しかも、登山道はほとんど有りま

せんし林道も限定されています。広い範囲に渡り、文明が到達していない地域が存在しいる、貴重な

辺境(フロンティア)でした。自然の中に深く分け入り、その中で仲間と一緒に何日も旅をして過ごし、

冒険や、色々な遊び(釣り・焚き火・野営)が出来る処、そこが白神山地でした。

 

 当時、中に分け入る為には、自分で研究してルートを見つけ出さなければなりませんでした。

そんな、楽しい事に抵抗することはとても出来ません。久し振りに、燃え上がって取り組みました。

ルートは有りました。林道、山仕事の道、渓流の遡行、マタギ道、そして最後はブッシュ帯への突入

と、地図と過去の記録を調べると段々と浮き上がって来ます。

 

 白神山地の真中を、一本の林道が横切っています。本来なら別けられていない地域が人工的な障壁

で真っ二つに裂かれています。上半分の地域を表すだけでも、2万5千分の1の地図4枚が必要です。

自然は破壊されましたが、アプローチには絶好のルートで、赤石川、そして追良瀬川と、白神を代表

する川を横切り、それぞれの入口に接近出来ます。それが弘西林道です。

 もう一つ、重要なルートは秋田県の青秋林道です。本来は、秋田県の真瀬川から、青森県の大川に

抜ける予定の林道です。自然保護の運動により中止されましたが、もし、完成していたら白神の中心

の赤石川は、完全に変わり果てていたでしょう。それでも、秋田県と青森県の県境まで完成されてい

ますから、その、最終地点の駐車場からは、赤石川の源流をすぐ近くに見る事が出来ます。

 

 秋田県側には、その他にも植林が進んでいる為に、白神山地の周辺に沢山の林道が有ります。

山に刻まれた林道は、今も存在するだけで土砂を流して自然を破壊し続けていますが、皮肉な事に、

旅の日数の少ない私達に絶好のアプローチルートを提供しています。

 

 その中で、一番お手軽なルートを選択しました。

秋田県、粕毛川源流の善知鳥沢を目指しました。粕毛川を、下流から遡行しないで隣りの谷の水沢を

林道の終点まで車で登り、山仕事の道(約2時間)で峠を越えて源流に入り込む計画でした。

 9月の下旬の連休、害虫も少なくて、水流が一番穏やかな季節でした。O君と二人で、林道の終点

から秋田杉の植林地帯を登り、峠を目指しました。迷いながらも、峠に着くと、粕毛川の源流地帯が

眼下に広がっていました。急な沢と崖を降りると、そこは、目的の地の白神でした。

 善知鳥沢に入り、上流を目指しました。始めての、白神の沢は穏やかに流れていました。憧れの地、

白神の森と水は、期待通りの清冽な色と香りがしました。原生林の中の、小さな沢を二人でユッタリ

と登って行きました。岩魚は、浅瀬の中を泳いでいましたが、あまりに穏やかで浅い流れは、近づく

のが難しくて釣りにはなりませんでした。

 本流に戻り流れの辺で、キャンプをして釣った岩魚を食べて、白神と同化した気分になりましたが、

小さい魚が、少しは釣れましたが期待ほどではありませんでした。やはり、楽をしてはいけません。

 

 しかし、ここはまだ秋田県で、白神の核心部は青森県側にありました。善知鳥沢の奥、県境の尾根

の彼方に、憬れの地、赤石川の源流へのマタギ道が有りました。ただ、その時の私達には遥かに遠い

道でした。

 

 翌年、私達は赤石川に向かいました。

 

 

              そして、川へ

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 赤石川、それは白神の女王、津軽の宝石と言われる、白神の中心を穏やかに流れる川です。

そこには、白神の全てが有ります。O君と二人で、9月の連休に白神を求めて赤石川に向かいました

が、日本海を北上する台風が同行していました。

 

 まず、白神に行くためには、東日本を縦断して本州の北の果てまで辿り着かなくてはなりません。

延々と続く、片道約700KMの東北自動車道の長いドライブが待ち構えています。その後、高速道

路を下りてからは、津軽半島を目指して、一般道を西に向かいます。

 弘西林道を、日本海へ向かって、峠を越え、山を越して延々と走ります。やがて、道は大きな谷へ

下りて行きますと、下りきった処に橋が掛っています。それが、赤石大橋です。その手前、左側には

奥赤石林道の入り口が有ります。林道を辿る事10数分、開けた台地で道は二つに分かれます。

右が、赤石ダムへの電力会社の道です。その台地からはダムへ続く道とダム、そして、その奥の折り

重なって見える深い森と谷の山々が見えました。遥かに遠くて深い山々には、憧れと不安を抱せる何

かが在りました。 始めて望んだ、白神の核心部でした。

 

 赤石ダム、それは赤石川の丁度真中に在る、高さ50m程の多目的ダムです。周囲をブナの原生林

に囲まれた、長さ約1Km、幅100m程の人造湖です。メンテナンス用の道がダムまで整備されて

いますが、そこから先は、一切の人工物は有りません。駐車場から、突然、野生の世界が始まります。

上流に行く為には、湖を自前のボートで渡るか、湖を取巻く山腹を辿らなければなりません。

 

 森を切り開いた、ダムの駐車場に着いて、準備をして赤石川に向かいました。早速の試練が待って

います。当然の如く、登山道は有りません。何かの道を探り当てるか、自分達で作るしかありません。

毎年、此処で最初のテストに落ちた人々が周囲をさ迷い、そして、そのまま帰っていきます。

 ダムの右側の山腹に、山仕事の道が有ると言われていました。

湖の縁をたどり、藪をくぐり、滝の在る沢を渉った崖に踏み跡が有りました。木の根を掴み、崖をよ

じ登ると、ダム湖の山腹を巡る踏み跡が続いていました。始めてのブナの深い林の中を辿る道、白神

のブナの森を教えてくれる道でした。

 やがて、道は湖に向かって下降して行きましたが、崩れた斜面にはロープがセットされていました。

突然、山菜の水菜を山の様に背負った地元のオバサンが現れ、あ然としている私達の脇を、風の様に

通り過ぎて下山して行きました。私達は、湖の縁をつたって、赤石川の流れ込みにやっとの事で辿り

着きました。

 

 川と湖との接点、そこは流れてきた水が動きを緩めて、たくさんの中間達と同化する処です。動き

を止める事は出来ません、後ろから続々と押し寄せてきます。その接点で岩魚を一匹だけ釣りましが、

その後は、まったく釣れませんでした。流れ込みで、ノンビリしていたのは決断がつかなかったから

でした。台風の動きが読めませんでした。その時、三人組の沢登りのパーテーが追いついてきました。

しかし、彼らもここから先に進む決断が出来ませんでした。

 

 こうして、「対台風日和見連合軍」が結成されました。大雨で増水しても、すぐに後退出来るよう

に、河原に目印の木を立てて、流れ込みの右側の河原で一緒にキャンプをしました。

 焚き火が始まり、食事の仕度と手早く進みましたが、岩魚が問題でした。五人で一匹では、塩焼き

は無理でした。その時、始めて岩魚汁を作りました。皆で、少しずつでしたが、岩魚の香りと味を感

じる事が出来ました。彼らには始めての岩魚でした。

 彼らの、儀式は焚き火でした。谷に来るのも野営をするのも全て焚き火の為でした。焚き火の仕方

も独特で、単に勢い善く燃やすのではなく、2・3本の太い木を組み合わせて、品の良い炎を長時間

にわたり持続し、最後に白い灰に成るまで見守り燃やし尽くすのが流儀でした。

 台風の風が強まる中、夜中まで炎を見つめ、語り合いました。その晩、私達は「焚き火教」に入信

しました。そして、明け方、強い雨が降りましたが台風は通り過ぎていきました。

 

 次の日は、台風一過の秋晴れのなか、赤石川を遡って行きました。滝川との合流点の二股が、二泊

めのキャンプ地でした。赤石川を源流まで遡り、秋田県側に下山する彼らとはヤナダキ沢の出会いで

別れました。その時、彼らのリーダーが私を呼びよせ二人だけで話しました。

 

 「焚き火の会の分派として正式に認める。但し、会則は出来るだけ守ってくれ」

 「ところで、同派のよしみで餌を分けてくれないか」と、リーダーは言いました。

 

彼らは、釣りの道具は持っていましたが、餌を忘れていました。「ミミズ」でしたが、喜んで分けて

上げました。

 

 気の良い彼らと別れて、滝川に岩魚釣りに入りましたが、赤石川と違い沢の形状が強く、急な流れ

と岩場があります。そこは、まさに夢に見た岩魚の釣り場でした。型の良い岩魚が、予想通りの場所

で、予想通りのアクションを示しました。 小さな滝の落ち込みで、滝壷のプールに毛鉤を投げ込み

ますと、滝壷の底から、大きな岩魚が魚雷の様に飛び出して来て、毛鉤をくわえて潜って行きます。

ゆっくり合わせても、源流の岩魚は針に掛かりますが、激しく力強く抵抗し続けます。

 その夜は、焚き火、岩魚の刺身、塩焼き、岩魚汁と源流の儀式がフルコースで行われました。

しかし、まだ、水菜、フキ、岩魚酒等が無く初心者の宴でした。

 

 次の日、下山した私達は、西目屋の手前の女坂温泉で山の垢を流しました。食事をして、出発のた

め車に乗りこんだ私達に、店の女の子が、両手にリンゴを持って追いかけてきました。

 

 「これでも食べながら、気をつけてお帰りください」と、いった内容を津軽訛りで言いました。

 

オジサン達は感激して、その後は毎年、必ず、女坂温泉に寄りましたが、二度と彼女は現れませんで

した。しかし、津軽の土地と、人々とリンゴの味はしっかりと記憶に残りました。

 

そして、旅は続きました。

 

 

 

              いやしの木

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 赤石川で見た白神は、予想を越えた土地でした。渓流と、岩魚を求めて入った私達が見た土地は、

森と川で構成された、太古の世界が奇跡的に残された処でした。私達は、その不思議な美しさの虜に

なり、白神の、もっと違う場所や季節を見てみたいと思いました。

 

 或る日の、赤石川。今回は、O君とフライマンのI君も同行して三人で入りました。

しかし、ダム湖の様子がおかしくて、湖岸に行って見ると水が有りませんでした。人造湖では、偶に

湖底の虫干しの為に、湖水を放流する事があります。赤石川は、湖の底の真中を泥に取り囲まれて流

れていましたが、湖底の泥の上に川に向かう足跡が有りました。足跡が無ければ、底なし沼のような

湖底に向かう勇気はありませんでした。ぬかるみの中の足跡をたどって川に降り立つと、湖を取巻く

森が、遥か上方になり不思議な景色になります。砂利の川底は、以外にしっかりしていましたので、

湖底の川の中を歩いて上流に向かいましたが、一ヶ所だけ、流れを外れて湖底の泥の中を歩かなけれ

ばなりませんでした。

 I君が、底なし沼にハマリました。実害はありませんでしたが、その後、I君は流れで清めたにも

関わらず強烈な匂いに包まれていました。 そして、15分ぐらいで流れ込みにたどり着きましたが、

山腹の巻き道にくらべ、30分以上の短縮で楽なコースですがブナの森の静かな道も歩けません。

 

 別の日に、湖の流れ込みで休んでいた時、老夫婦と思われる二人連れが軽登山の格好で湖の捲き道

を辿り、登って来ました。よく辿りつけたし、どちらに行くのかなと思っていたら

「二ッ森へは、こちらの方向ですか?」と、聞かれました。

確かに、方向は合っていますがそうですとも言えず、

「道が有りませんし、川通しで三日かかります」と、答えました。

 

 ここで、赤石川の旅をガイドしてみますと。

 

 湖の流れ込みからの赤石川は、開けた川原の中を大きく緩やかに蛇行を繰り返して流れています。

流れが曲がる所では必ず木に覆われた緑の淵となり、真っ直ぐな所では明るい透明な瀬となって流れ

て行き、周囲の原生林と調和して川原で明るすぎず、森で暗くもならず華やかな景色が続きます。

 道は、有りませんので川の浅瀬を渉りながら登って行きます。しばらく歩いて行きますと、川原の

真中に周囲の森から孤立した大きな木が立っています。余りに大きなその木は、一本だけで森の様な

雰囲気を漂わせています。川の辺で、流れに根を洗われながらも立ち続けています。

 やがて、流れもほんの少し急になり、川幅も狭まり森が迫ってきます。川の中を、歩き易い所を選

んで登って行きますと、色彩は地味に成りますが、幽玄な流れが中流域を支配しています。その中で、

突然「緑の神殿」が出現します。

 

 まず、右手より沢が流れ込み大きな淵を作ります。そして、白く泡立つ流れの先に岩壁に囲まれた

深いプールが濃い緑の水を湛えています。その先で川は右に大きく曲がりますが、正面の黒い岩壁に

枝沢からの白い滝がサラサラと流れ、川にすだれの様に落ち込みます。側壁は高く聳え、光は高い梢

の間から暗い谷間に舞台の照明の様に降り注ぎます。

 そして、その中を水にタップリと浸かりながら通過すると、明るく、白い岩場に滑滝が出現します。

ここは、唯一の岩場で少し緊張しますが、花崗岩の岩はガッシリとしていて楽しく登って行けます。

そして、岩畳と続きますが、あくまで明るい木々の緑が辺りを取り巻いています。 派手な景色も、

ここでまた落着きを取り戻し、川は蛇行を繰り返して行きます。

 

 この辺りから、赤石川の名前の由来である、濃い赤の岩石や岩場が多く見られ、白く泡立つ流れや

青緑に染まる淵と絶妙な取合わせとなります。やがて、素晴らしい景色にも少々飽きて来た頃、谷が

開き、河原が現れて右手より川が合流した所が有名な滝川との二股です。大きな淵やキャンプサイト

もたくさん有りますので、大体、ここで一日の旅が終わります。

 この先の赤石川は、広い川原がありませんので森が川に近づいていてきて、鬱蒼とした深い森と川

が一体になり、幽玄な雰囲気が源流の奥二股まで延々と続きます。次の泊まり場の奥二股までは、

さらに、丸一日かかる川の旅が必要になります。その後、源流を突破して、青秋林道に抜けるコース

はさらに一日が必要で、全体では最短で三日掛ります。その間、人工物は勿論、登山道もありません

ので、川の旅と、沢登りと、踏み跡をたどる事になります。

 

 私達のお気に入りの泊り場は、二股の先の、川が大きく蛇行している処です。少し、川面より高く

なった台地でブナの林の中にあります。川は目の前で、瀬から大きな淵に流れ込み、対岸の岩壁には

大きな洞が有りました。その淵は、釣りのポイントとしても一級で夕刻には岩魚のライズが盛んに起

こりました。

 

 その木に、気が付いたのは何年か後の事でした。何本ものブナの大木に守られて、それらの枝に、

幾重にも覆われたキャンプサイトは温度も湿度も快適でした。特にそのブナの大木は、何万と知れな

い木葉で天気の時は日差しを和らげ、雨の日は、少々の雨は葉っぱ達が引き受けてくれました。

 或る時、物干し用にロープを木々の間に張っていましたが、その木にロープを廻す為に木に抱き付

いた時に気が付きました。木に、耳を当てると「ゴー」と、言う音が木の中から響いて来ました。

沢山の葉が、水分を蒸発させる為に、大量の水を天辺まで吸い上げる音だと思います。その時、私は

その木が生きているのをハッキリと実感しました。それからは、そのキャンプサイトに行くとその木

に抱き付き挨拶するのが習慣になりました。そして、その木が私を癒してくれる事に気が付きました。

 長い、車によるアプローチ、そして、山での徒歩によるアプローチ、森の緑と、川の水により洗わ

れたとき、それらの後にその木に抱き付いた時、その木は、身体の中の汚れを吸い出して行きます。

その木が街にあり、同じ事を全ての人にしてくれたら、私は大金持ちに成れるでしょう。

しかし、川と交わり、森と同化しないとそれは起こらないのでしょう。

 

 私は、たびたび間違いを犯します。街の知り合い達に、酒場で、例の木の話をしてしまいました。

それを聞いた、夜の街に詳しい遊び好きのオジサンが

 

「似た木なら、俺も知っているよ」と、言いました。

「いやしの木なら、そんなに遠くに行かなくても」

「夜、新宿に行けばいっぱい立っているよ」

「一晩抱き付いていると、とても癒されるよ」と、ホザイテいました。

 

まあ、人により方法が違っても、求める物は同じかもしれません。

 

 

              岩魚たち

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 岩魚は、千差万別の形態を取ります。

湖の岩魚、海に下る岩魚、川を旅する岩魚、渓流の岩魚、沢の岩魚と皆、元は同じ種族でも姿かたち

が違って見えます。水質・水圧・水温・水流の違い、餌や周りの岩の色と日光などにより変化します。

海に近い銀色の岩魚が一番魚に近く、沢の岩魚は黒くてケモノに近いと言われています。

 沢や谷では、姿の見える所にはあまり居ませんが、川の脇や、川の下の地下水の中に住んでいて、

表の川と、裏の川を地下水の水路で行き来していると言われています。しかし、最近では自然破壊に

より流れ込む土砂のために水路がふさがり、それが岩魚の減少の大きな原因と言われています。

 

 白神では、ブナのおかげでまだ沢や谷が本来の姿を保ち、岩魚に良好な環境が残っています。

川底に大きな石や岩が、積み重なって出来たゴーロや、岩陰などの隠れ場所が豊富で、また、森の中

の豊富で清らかな水と餌がたくさんの岩魚を育てています。しかし、白神で岩魚釣りをしていると、

余りに純真で素直な岩魚の姿に、2・3匹釣ると闘志が失われセツナクなり、釣りを止めてしまいま

す。透明な水の中、緑の光に染まった流れの中で、岩魚達は上流から流れて来る食べ物を待ちながら

ユッタリと遊泳しています。水面を漂う餌を見つけた岩魚は、餌の正面に廻りこみゆっくりと吸い込

みますが、複雑な水流に流されて来た餌には、闘志を剥き出しにして水の中で白い腹をキラリと見せ

て反転して餌に襲いかかります。

 

 思えば、たくさんの岩魚達と出会って来ました。台風の雨の後で、増水のなか、強引に二股まで入

り小沢の落ち込みで釣った尺岩魚や、毎年、同じポイントで釣れる滝川の大型の岩魚達。源流の岩魚

は、厳しい生活環境に適応するため、強力な頭部と強じんでスリムな身体を持っています。魚留めの

滝で釣ったオスの岩魚は、巨大な頭部と強暴な歯を持った恐竜の様な風貌でした。強じんな生命力と、

独特な個性を持った岩魚は、さまざまな伝説を生み、超能力を持っていると釣り人や山の人々から思

われています。

 

 その中で、一番、印象的な岩魚を上げるとすると、やはり、彼女しか思いつきません。

 

 それは6月、森も芽吹きが終わり、川も雪解けが終わり水も甘くなった、岩魚達が一番はしゃいで

いる季節でした。私とO君とI君の3人で、かがやくばかりの新緑の赤石川に入りました。

 ただでさえ美しい「緑の神殿」はまさに醗酵していて、山の精霊達がパーテーをしている様でした。

その真中の、滝が滴る流れで、湖からの銀色の登り岩魚を釣りました。30cm以上のその岩魚は、

緑の水のなかで、大きなナイフの様にキラリと光りながら釣り糸から逃れようともがいていました。

 釣り上げた後でも、それは見事な姿態を見せ私を魅了しました。私は、無意識の内にナイフで彼女

を殺害していました。そして、上流の岩畳の上で、刺身にして3人で食べてしまいました。そして、

二股まで行き、いつものキャンプサイトにテントを張りました。

 

 その日、白神で始めて豪雨に襲われました。何時もは穏やかな赤石川の流れが、キャンプサイトで

見守る私達の目の前で、見る間に濁流になり恐れさえ抱きました。幸い、夜になると一時雨も上がり

何時ものキャンプになりましたが、翌朝はまた雨が振り出しました。水が濁らない内に下らなければ

なりません。下山は、雨脚が段々と強まり雨との競争になりましたが「緑の神殿」の岩場に到着しま

した。濡れた岩を慎重に下り、昨日、岩魚を釣った滝の前に降り立ちました。ここまで来れば、安心

です。三人とも無事通過してホットした時、私は、岩場でスリップして右手を岩につきました。

 はめていた軍手の小指が、第二間接から不自然に外に直角に曲がっていました。左手で真っ直ぐに

直し手袋を脱ぐと、見事に折れていましたが、痛みは不思議と有りませんでした。 そこはまさに、

昨日、あの岩魚を釣り殺害した場所でした。

 

 丁度、その時には雨もあがり、小枝とハンカチで簡単な添え木をして、意識から右手の小指を消し

去りひたすら川を下りました。湖の捲き道も、左手一本で下りました。さすがに、温泉には寄らずに

弘前に急ぎました。あいにく日曜日で、開いている病院がなかなか有りませんでしたが、接骨医院が

開けてくれまして、キレイな看護婦さんが相手をしてくれたと思っていたら女医さんでした。彼女は、

不思議な雰囲気で透き通る様に白い肌の青森美人でした。小指のレントゲンを取り、写真を診断して

いる先生に見とれていると、いきなり

 

「重症です、関節の複雑骨折です」と、言われてしまいました。

「応急処置をしておきますが、多分、手術が必要でしょう」

 

 たかが小指で、重症・複雑骨折・手術と訳の解からないキーワードが出てきましたが、まあ、家に

帰ってからと、取りあえず応急処置と薬をもらいました。帰りの高速道路は、三人しかいないので、

私も痛み留めの薬を飲みながら、あの、先生は美人だけれどヤブ医者だな、だけど、今度あばら骨で

も折ったら、また見てもらいたいな、などと思いながら交代で運転して帰りました。

 家の近くの、大きな病院で診察した結果は、青森の女医さんと同じ診断でした。さらに、応急処置

の手作りの添え木を見たこちらの先生は、絶妙な曲線で天才的な出来映えだと関心していました。

小指の関節の手術でボルトを入れ、さらに三ヶ月後に取り出しましたが、執刀した医師は、俺の生涯

の傑作だと言っていました。今でも、小指は変形していて当時の事を思い出させます。

 

 と、ここで終われば大した事はありませんが、最近見た夢では、何処かとてつもなく高い場所で、

右手だけで何かにぶら下がっている非常に恐ろしい状況です。実は私は、高い処が苦手です。そして、

右手は小指の為に力が入らず、やがて・・・とゆう夢ですが、小指は何か握るときの要だそうです。

その時に、あの岩魚の呪いは完結するのかもしれません。

 

 

              川の旅人

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 追良瀬川、それは赤石川と並び、白神を代表する川です。その長大な流域は原始の森に覆われてい

ます。 アプローチは、赤石川に比べると比較的に簡単です。車留めから、簡単に堰堤をパスして、

渓流に入れます。しかし、その後の行程の長さが最大の障害になり、最深部へは中々到達出来ません。

それでも、簡単に白神の雰囲気に浸れるので、中々人気があり訪れる人は結構います。

 追良瀬川の特徴は、その森にあります。赤石川にくらべて、広い川原がありませんので森が川に近

づいていて、鬱蒼とした深い森と川が一体になり、幽玄な雰囲気が延々と続きます。

 

 集中豪雨の後の追良瀬川の車留めで、相棒のTと二人、車の中で考えていました。川は水が溢れて、

強暴な流れが荒れ狂っていました。雨はやんでいたので、流れも、急速に回復する事も考えられまし

た。ノンビリと、準備をしていると、三人組の渓流釣り師がやって来ました。あっという間に、準備

をすませ出発して行きました。ウエットスーツにヘルメットにザイルという、完全装備の渓流の殺し

屋達でした。

 すこし後で、私達も濁っていた水も透明に成り、水量も引いてきたので出かけました。ダムを廻り

こみ渓流に沿って歩いて行くと、最初の渡渉地点に着きます。そこは、普段の倍の幅と予測出来ない

深さに、恐れを抱かせる水流が流れていました。私達の持っていた30mのザイルでは覚束ない幅の

流れでした。たかが岩魚釣りに命は掛けられません。掛けるなら、もっと別な場所と状況でと思って

います。あっさりと撤退して、日本海に向かいました。それにしても、あの殺し屋達はさすがでした。

 

 在る時、追良瀬川の中流で二人の旅人に会いました。一人は、身長180cm以上の偉丈夫で大き

なザックとテンガロンハット、それに巨大なボーイナイフを腰に差していました。彼の印象が強烈過

ぎて、もう一人の連れの容貌は忘れましたが、二人は、一週間の日程で途中から参加する友達を待ち

ながら、白神の川をウロツイテいるという事でした。今日は、赤石川から山を越えて来たそうです。

 

 白神で時々、単独の旅人に会います。彼らは、白神の川と森をさ迷っている様に見えます。何かに

とり憑かれている様に、ふっと現れそして消えて行きます。人と話す事を嫌い、挨拶さえソコソコに

離れ去って行きます。まさに、白神の美しさに魅入られて、「さ迷い人」に成ってしまった人々です。

人の事は言えません、私にも、その「気」があるので気を付けなければなりません。

 

 白神では、時々とんでもない飛び入りが現れます。原生林の真中で、大自然の時にまったりと流さ

れていると、小鳥のさえずりや、川のせせらぎ、木の葉にまとわりつく風の音などの自然の音色で、

見も心も鋭敏になり感じ易くなっている時に、突然、大音響と共にジェット戦闘機が襲って来ます。

米軍三沢基地のF16ですが、追良瀬川が、峡谷の爆撃シュミレーションと、低空飛行の熟練コース

に成っているみたいです。それにしても、敏感になった感覚には、いきなり神経を逆なでする音と、

精神を引き裂く様な行為は余りに酷な仕打ちです。

 怒り狂った心と血圧は、戦闘機と共に空に舞い上がり、落着くまではしばらく掛ります。

 

 追良瀬川には、印象的なキャンプサイトが何箇所か有りますが、逆に、それ以外に適地が少ないの

です。川に入りますと、すぐに何箇所も快適なキャンプサイトが現れますが、何れも駐車場から近す

ぎます。二時間ほどの行程の所に、一の沢が出合い、大きな木のある台地に最初の泊り場があります。

 ここの立地条件は、大きな木と、周りを囲む森と大きくて深い淵があり、白神山地の中でも有数な

条件と雰囲気を備えています。ここも駐車場から近すぎますが、この先にはしばらく適当な場所が現

れません。

 追良瀬川を丸一日、深い森に囲まれた川を遡行して行きますと、岩盤が現れ、五郎沢の出合いに辿

り着きます。五郎沢は20mの滝となり本流に落ち込んでいます。ここの、キャンプサイトは眺めに

関しては白神の中で最高の部に入ります。

 上記、以外の場所は河原に泊まったり、森の中にサイトを作成したりしますが、安全性や害虫の点

での問題があります。

 

 在る時、私とO君とI君の三人で追良瀬川の中流域を越え、三ノ沢の出合いより上に、天気も良さ

そうなので河原にテントを張りました。河原は、乾いた砂地で快適な夜になりそうでした。

 その日の渓流は賑やかでした。活かし魚篭を持った漁師みたいな釣師達の他に、白神観光ツアーの

様な団体さん御一行が来ていました。しかし、その一行が私達のキャンプサイトの横を通り過ぎた時、

その中には渓流界の有名人が沢山含まれていました。あの菅笠のご老人は有名な翁、あれ、あの女の

人は渓流のマドンナと言われたT嬢では、等々、他にもそうそうたる豪華賢覧なメンバーでした。

 後で、翁がかの有名なテンカラのスタイルで登って来ました。さすがに、威厳と風格に満ち、悠々

と釣り上がって行きました。

 最近は、私がキャンプサイトで何もしなくても物事がテキパキと進んで行きます。皆、源流の生活

にすっかり馴染んで、なお且つ工夫をして、タープやガスランプ等の器具で快適さと合理化を両立さ

せています。私は、焚き火だけをしているだけの夜が多くなりました。その時もそんな夜で、天気も

良くてあまりに素晴らしい夜だったので、金色の月光の中、自然の流れ星と人工衛星の軌跡が交わる

星空を眺めなら、焚き火の側で一晩を外で過ごしてしまいました。

 

 次の日、私達は早めにキャンプサイトを引き上げ、川を下って行きました。すれ違いに、また例の

御一行が遡って行きました。しばらく下ると、森の中の広場に、彼らのキャンプサイトがありました。

 森の中は、確かに河原より安全性が高いのですが、虫が多くて、快適とは言えません。

夫婦と思われる二人連れが、焚き火のそばで所在無さげに座っていました。女の人の顔は、蚊に刺さ

れて、お岩さんの様に膨らんでいました。ザックから、余っていた蚊取り線香を出してあげると。

 

「ありがとう御座います」

「土曜日なのに、お帰りですか」と、聞いてきました。

「ええ、日本海に出て、温泉とバーべキューです」と、答えると

「一緒に行きたいです」と、さびしげに言いました。

 

山の中に、素人さんを連れてくる事には賛否の両論があると思いますし、彼らの安全と快適さの保障

と義務をどう考えるかは、その人達の自然へのかかわりかたの問題だと思います。蚊も殺さないで、

自然の中で苦しむのも、自然との付き合いの一方と言えなくもありませんが、事前に、自分達が経験

する事を正確に理解させ、覚悟させておくのが望ましいと思います。

 

 海に向かった私達は、八森の市場に行き、買出しをした後に能代市の海水浴場に行きました。九月

になり、シーズンも終わり、人けの無い海水浴場の施設を独占して過ごすのも中々良いものです。

ただし、海水浴の水廻りの施設は閉鎖されているので、水道・トイレ等は利用出来ません。屋根付き

のバーベキュー場が有り、目の前の海と夕日を眺めながらゆっくりと食事をして、近くの芝生の広場

にテントを張って寝てしまいました。そして、次の日は八幡平の渓流沿いの温泉により、盛岡に出て、

東北自動車道の長いドライブを経て帰宅しました。その間ずっと、とり憑かれていたのだと思います。

 

 帰宅した翌朝、シャツを着替えていた私の裸の背中を見たカミサンが悲鳴をあげました。アズキぐ

らいの大きさの白い虫が、私の背中に頭を潜り込ませていました。まだ出ていた胴と足がピクピクと

動いていました。カミサンが勇気を振り絞って、ティッシュでつまんで引き抜きました。ビニール袋

に入れて皮膚科の医者に見せたところ、「マダニ」だと言う事でした。ツノが有るので、頭が付いて

引き抜けたのは運が良かったそうで、皮膚の中に頭が残ってしまうと問題になるところでした。完全

な「マダニ」の標本は珍しく、ぜひ譲ってくれと医者に頼まれました。彼は、私から譲り受けた標本

を同僚に見せびらかしていました。

 何時、何処で、とり憑いたのか分かりませんが、多分、白神の河原で星を見ながら寝ていた時だと

思いますが、それも、標本になるためにずいぶん長い旅をしてきたものです。白神の「マダニ」だと

すると、まさに世界遺産の貴重品種の標本でした。

 

 

              旅の仲間

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 当時、白神山地は、辺境(フロンティア)でした。登山道はほとんど有りませんし、林道も限定され

ています。広い範囲に渡り、文明が到達していない地域が存在しいましたので、中に分け入る為には、

林道、山仕事の道、渓流の遡行、マタギ道、そして、最後はブッシュ帯への突入と、単なる渓流釣り

ではない広大な辺境・白神山地での冒険の世界が広がっていました。

 

 そんな世界に分け入る為には、一人では太刀打ち出来ず、仲間たちが必要でした。そして、彼らは

楽しさも与えてくれました。たとえば、仲間が一人いれば、苦労や苦しみは半分に減りますし、安全

や楽しみは倍に増えます。しかし、それだけ山で受けるインパクトが少なくなる事も有るかもしれま

せんが、余計な苦労や苦しみが多いほうが記憶に残り、上質な行為だと言う論法はマゾ的で一方的だ

と思います。廻りを取り巻く環境や、身近で起こっている出来事から何を感じどの様に記憶するかが

その人の感性と言われる物でしょう。ちょっと、話が脱線してしまいましたが、ようするに、一人で

行くよりは気の合った仲間と行った方が何倍も楽で楽しいですよ。

 

 まずは、夕日のフライマンのI君ですが、釣りに関する行動力では当会で文句無くトップでしょう。

とにかく、釣った魚の数や、釣りへの情熱では誰も張り合おうとは思わないでしょう。独特な、感性

や欲望を持っていますので、一緒に谷に入りますと、装備や行動パターンで新味があります。

昔からの付き合いなので、何か事件が有ったときは大抵の場面で登場していますが、最近は、事業の

方が忙しくて中々スケジュールが合いません。白神の岩魚が、一番ホットしているかもしれません。

 

 次は、最近のパートナーのT君ですが、彼は、釣りも渓流もまったくのZEROから始めています。

ただし、テニス等のスポーツマンでしたので、若い年齢や体力的な基礎能力は高いので、色々な技術

を楽々とマスターしていけますが、経験が少な分、精神面の強化が課題でしょう。最近、私と同じで

釣りから山にシフトしていますが、今後の目標を何処に置くのか、初めての、分岐路に来ているのか

もしれませんが、むしろ彼の、今の、最大の問題と障害は新しく変った環境でしょう。

 

 一番若い、IT君は、O君の職場の後輩です。最初の頃は、何も知らずについてきていましたが、

最近は、全ての行動をギコチナイながらも一人で出来る様に成りましたが、本当のおもしろさや恐怖

を経験するのはこれからでしょう。

 

 そして、最後はやはり、最古の生物のO君です。彼と一緒でなければ、わざわざ、本州の最北端に

ある津軽の白神まで出張しなかったでしょう。疑いを知らない彼は、私の計画に疑問も恐れも抱かず

に付いてきました。そのために、私達の探索は2次元の世界を自由に増殖して広がり、北の果てまで

到達したのでしょう。

 友としても、相棒としても素晴らしい君には、まったく文句は有りません。ただし、釣り師として

の技術的な問題はさておき、釣り場の事は秘密にするのが釣り師の誉れです。拷問されても釣り場の

事はハカないのが釣り師です。ああ、それなのに、君は頼まれもしないのに白神の素晴らしさを、誰

彼かまわずに吹聴しシャベリまくっていますし、その上、ガイドまで引き受けています。人を選び、

緑の楽園に、やたら、オオカミを解き放つ様な事は止めましょう。

 

 私達の会には、マタギの掟が似合うと思いますが、メンバーの意識が最大の障害に成っています。

ちなみに、マタギの掟は

 

              「シカリと呼ばれる統率者が中心であり、シカリ・コマクギ・料理係(炊事担当)・

              ハツマタギというように、八人から十人程度の組織集団が主となっている。

            気心の合った仲間が主として集まって組がつくられるが、

            シカリの権力は絶対であり、狩猟中はいっさいを統率した。

              山に入っては、絶対に静粛でなければならない。

              咳ばらい・あくび・歌・ロ笛は禁じられ、器具の取り扱いも音をたてない。

              足音もたててはいけないし、酒もタバコもだめであった。」

 

とくに、「シカリの権力は絶対であり、」と、「山に入っては、絶対に静粛でなければならない」が

重要だと思いますが、誰も守りません。シカリは、テントを運び、雑用をこなし、酒もタバコも飲む

騒がしい集団は、森の静寂を破り、けものたちや精霊たちを蹴散らかしていきました。

 

 

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              海へ

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 白神へのアプローチは、東北自動車道を黒石・大鰐インターで下りて、観光道路のアップルロード

で弘前を迂回して弘西林道に入るのが何時ものルートでした。帰りも、同じルートを戻ります。

そして、アップルロードのりんご園で、お土産を買って帰るのが習慣に成っていました。

ある時、弘西林道の先には何が有るのか、たまには知らない土地、変わった道を辿りたくなりました。

また、その時は追良瀬川でしたので、弘西林道の真中を過ぎていて、海に近い処でした。

そして、海に向かって出発し、新しい世界を発見しました。

 

 弘西林道は、全長60kmにわたり、白神山地の真中を横切っている唯一の道路です。

途中、赤石川、追良瀬川、笹内川と津軽地方を否、東北を代表する名渓流を横切ります。その度に、

谷を隔てる長大な尾根に登り、又、深い谷へ下る。そんな事の繰り返しが、飽きるまで続きます。

追良瀬川と、笹内川の分水嶺を超えると、始めて日本海が見えてきます。山を下りきり、着いた先は

陸奥岩崎の海岸です。

 

 津軽の魅力は山にもありますが、海にこそ、その真髄があります。その、自然と文化を支配してい

るのは明らかに日本海です。海からの、風と雨と雪が白神さえも形成し、支配しています。

山だけで、津軽を語るのは、津軽に対して失礼です。そして、穏やかな夏の海だけでは。

しかし、冬の海も、冬の山も今だに知りません。旅人には、知ることの出来ない世界かもしれません。

 

 取りあえず、夏の津軽だけでも。

 

 津軽の海岸沿いには、温泉が沢山有ります。有名な処では、不老不死温泉がありますが有名になり

過ぎた為に敬遠する点が出てきました。最近のお気に入りは、海岸の崖の上に在る灯台みたいな温泉

です。可動式の大きくて透明な回転窓を持ち、あっという間に、ハーフドームの露天風呂になります。

ハイカラで明るい、津軽らしくない建物です。相棒のT君と、海岸をさ迷っている時に見つけました。

 理屈抜きで素晴らしい日本海の眺めと、快適で手軽に利用が出来るのが魅力です。駐車場が目の前

ですから、白神でどんなに痛め付けられ、筋肉痛に成っていても、這って行ってもすぐに入れます。

塩分を含んだ温泉は、山帰りの擦り傷だらけの身体にヒリヒリと沁み込みます。

 

 温泉に入った後で、海岸線を秋田に向かってノンビリと南下して行きます。この道は、非常に危険

です。少ない交通量と、海岸沿いの絶景が運転者の注意を道路からそらして行きます。夕日の時には、

抵抗するのは止めて、日没まで車を離れて見入ってしまいましょう。

 

 秋田県に入り、八森町に近づくと観光市の看板が出てきます。日数の少ない観光客が、地元の味を

堪能するのは中々難しい事です。海産物は、特に目利きが難しい物で、観光客目当ての粗悪品を宛が

われる事は少なくありません。しかし、ここ津軽では、まだまだ安くて美味しい物が観光市で手に入

ります。白神山地で、いくら厳しい環境と生活でダイエットしても無駄な事です。逆に、ここの市場

に来ると、前より太ることを心配します。ただ、残念な事に土日しか営業していません。最近の私達

のスケジュールは、土曜の観光市が規定事項で前後の行事は添え物です。また、能代のスーパーでも、

意外に新鮮な近海物を売っていますし、その他の生活必需品も全て調達出来ます。

 

 そして、また山に戻ります。海岸にもキャンプサイトは沢山有りますが、砂、風、塩気、暴走族な

どの障害の他に、環境(水・トイレ)が揃う所は余り有りません。

 山には、只で快適なキャンプサイトが結構有ります。また、ここ津軽では海と山が隣同士です。

海の幸を、山で楽しむ、これが津軽流かもしれません。

 

 いずれにしても、津軽の旅は海なくしては完結しません。


                                          第二部 森の旅

 

              禁じられた旅

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 白神山地は、地元住民はじめとする人々の努力によって1990年に青秋林道計画が中止となり、

1993年に世界遺産として登録されましたが、有名になり入山者も増えました。

「世界遺産は世界のため、次世代のために残していかなければいけない。世界遺産登録により入山

者も増え何らかの規制が必要」と、言う意見が出てきました。

 そして、1994年に青森営林局が、核心部である保存地域への入山禁止を明記した看板を立て

ました。過去、数兆円の赤字を出しながら、日本の山の為に成る事を一切してこなかった林野庁は、

今回もその例に習いました。理念も無く、長期の計画も立てられずボランティアに頼り、世界遺産

と言うブームに乗り自らの立場だけを考える事しか出来ませんでした。

 地元と自然のつきあいは文化であり、地元住民を閉め出すのはその文化を破壊する事です。

世界遺産には、その文化は含まれないのでしょうか。また、人と自然の関係と関わりは、世界遺産

以上の事業ではないのでしょうか。その、理念と計画を確立する事が林野庁の役目のはずです。

 

 私は、白神山地が立入禁止になった時は、生き甲斐が奪われたような気がしました。環境保全の

為には、心無い釣り人達を遠ざける事が有効なのは分りますが、完全に、人と自然を分離する考え

方が理解出来ませんでした。そして、そんな事が可能なのか。

 しかし、現実には赤石林道は閉鎖されました。そして、白神山地の核心部は一般人は立入禁止に

なりました。しかし、そんな事が憲法や法律により規制されるはずは無く、罰則等の規約も有りま

せんでした。役所との利害関係のある地元の人々は、そんな規制でも従うしかありませんでしたが、

この規制により、監視していた地元の人々の居なくなった法律の空白地帯に、無法者が横行しだし

ました。森の木を切り、山菜を略奪し、川を汚して、岩魚を虐殺していました。

 結局、またこの事態を少しでも救っていたのはボランティアの人々でした。地元の有志や、自然

保護団体の人達が見廻りをしていましたが、多数の無法者に山の中で一人で立向かうのは、法律の

後ろ盾も無く勇気以前の問題が有りました。

 

 そして、1997年に青森営林局が、核心部である保存地域への入山禁止を取り止め、届け出制

になりましたが、営林署の影響力と、面子を保つ為の制度でした。しかし、相変わらず赤石林道は

閉鎖されたままなので物理的障壁が有り、下流域は入山しにくい状態でした。丁度、下流域の探索

も一区切りついた時でした。そして、源流域の森へ目標が移って行きました。

 

 赤石川の源流域は、青森県の弘西林道の変わりに、秋田県の青秋林道からのアプローチになり、

終点の駐車場が出発地点になります。青森と秋田の県境に在る「二ッ森」と言う山の青森側の北部

一帯が赤石川の源流域になります。その地域は、険しい山と谷で覆われています。ただ、一箇所だ

け二ッ森から高度300m程下降した処に「泊ノ平」と言われるなだらかな一帯が在ります。

 そこから、赤石川源流の奥二股に下れる「マタギ道」があると言われていました。

 

 

 

              そして、森へ

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 赤石川の奥二股、そこは白神の中心地です。文明から遥かに離れ、原始の世界が広がっています。

位置的に、中心と言う訳ではありませんが、抽象的な象徴と言う意味の中心です。

ワカリマセンか?

簡単な事です。奥二股で、焚き火をしながら一晩泊まればすぐに分かります。

 

 と言う訳で、奥二股を目指しました。

例の通り、地図と記録でルートを調べました。下流から遡ば簡単です。しかし、日数が掛ります。

赤石大橋から、林道を辿り、赤石ダムを経て、赤石川の本流を遡り奥二股へ、その後、源流を突破

して、青秋林道に抜けるコースは最短で三日掛ります。

そして、最大の問題は交通機関でした。赤石大橋に車を置いて行きますと、青秋林道に抜けた後に

車を回収する事が難しくなりますし、時間も掛ります。

 

 そこで、青秋林道の終点の駐車場からの往復が考えられました。しかし、ハッキリしたルートも、

記録もありませんでした。地図で大体の見当をつけて、二ッ森の山頂から下降する事にしました。

7月の連休に、大物の岩魚が「ウジャウジャ」と言う甘言に騙された、総勢5人で決行しました。

 

 見事に、失敗しました。

 

 青秋林道の駐車場から、登山道で二ッ森の頂上を目指しました。二ッ森の頂上には、素晴らしい

眺めが待っていました。白神の主な山と谷が、折り重なって続いていましたが、普段、登山などし

ていないメンバーはたった1時間の登りでバテていました。ただ、頂上からは下りだけですので、

泊ノ平を目指して秋田・青森の県界尾根の下降を開始しました。

 凄い藪でした。ヤワナ釣り人にはとても無理なルートでした。頂上に引き返して、ルートを探し

ていると、左手に枯れ谷が有りました。降って見ると、草付きになり下の谷に降りていました。

しかし、傾斜はキツクなり安全が保てなくなり、降った先のルートの保障もありませんでした。

これでは、メンバーとルートが余りにミスマッチで安全な行動が出来ません。

 

 すごすごと引き上げた5人は、車で山を下りましたが、時間が中途半端で何処の釣り場にも入れ

ませんでした。そう云う時の、遊び場に秋田県側に何箇所かのキャンプ場が在りました。

その中で、お気に入りの「森の中のキャンプ場」に行く事にしました。そこは、ヤマメ釣りで有名

な藤琴川の上流で、大きな木々の森に囲まれた草地に在りました。何時もは、人気も無く静か過ぎ

るキャンプ場ですが、さすがに、7月の連休中なので結構な人々が集まっていました。

 外人も交えたグループは、大きなテントにキャンプファイヤーと派手に盛り上がっていました。

それでも、キャンプ場が広いのでゆったりとした雰囲気のなか、我々も、山用のこじんまりとした

テントを2ツ張り、テーブルもイスも有りませんので、あずま屋を占拠して夕食を取っていました。

食事は、時間も無く買出しに行けなかったので、山での質素な献立でした。食事の後で、例の如く、

質素な焚き火をしていると、今日の労働の疲れからか私以外の全員が寝てしまいました。

 

 その時、隣りのテントの人が表敬訪問に来ました。隣りは、大きなテントに広大なタープと立派

なリビングセットを私達の倍の広い敷地に広げていました。その豪華な施設の主は、たった2人の

秋田の釣り人でした。私が一人で、寂しげにしょぼい焚き火を見つめているのを見かねて誘いに来

たのでした。地元の人との交流はビジターの務めです。招かれるままに行ってみますと、焚き火の

変わりに炭を山の様につんでいました。ビールを宛がわれ、豪華なイスに座って談笑しました。

 私が、遠く関東の埼玉から来た事を知ったとき、それでは歓迎せねばと、牛の焼肉を始めました。

私は、彼らがミスボラシイと思っていた夕食を済まし、さらにビールをご馳走になっていたので、

既に、今日の運動で消費したカロリーを補給し終わっていました。しかし、炭火での焼肉と追加さ

れたビールはあっと言う間に胃の中に消えてしまいました。

 

 釣り人同士なので、自然と釣りの話になりますが、私の誘いに乗らずに、地元の人しか知らない

ような秘密の釣り場のことは、中々口が堅くてハキませんでした。逆に、私にカマを掛けてきて、

長年研究した結果を引き出そうとしていました。話しは盛り上がり、手の幅が段々と広がってきま

した。気が大きく成った彼らは目配せをしました。その時、なんとなく恐ろしい気がしたのですが、

彼らは、火に炭を補給して大きなクーラーボックスから包みを、うやうやしく取り出しました。

そして、遠来の客人を歓迎しなければと言いながら、特大のスペアリブを炙りだしたのでした。

 

 次の日、私達は下流の渓流に釣りに行きました。夏の昼間の渓流は予想通り、魚が消えていて釣

りになりませんでしたが、整った渓谷美の中、水に戯れ岩と遊び、昨日の肉類を消化していました。

昼間は、どうせ釣りにならないので八森の市場に買出しに行き、帰りの町でその他のキャンプ用品

を調達して少しでも廻りのキャンパー達に近づこうとしました。

 

 早めに戻り、夕飯の準備を始めようとすると、「夕日のフライマン」のI君が例の如くクレーム

を付けて来ました。

「俺達は何の為にここまで来たのか?『釣り』をする為ではないのか、俺達のクラブは『釣り』の

為のクラブではないのか?」と、例の如く言いました。

しかし、既に皆は『美味しんぼクラブ』になっていて、釣り?

廻りを見れば、各キャンプグループで最低1名は俄か釣り師になって、ルアー、フライ、毛鉤、餌

で辺りの渓流のポイントを全て掻き回して荒らし捲くっていました。皆が相手にしないで居ると、

I君は一人でフライのロッドを持って出かけて行きました。

一応、「7時までには戻れよ」と、声をかけておきましたが、なにせ「夕日のフライマン」です、

暗く成るまでは戻らないでしょう。

 

 今日の献立は豪華です。市場で買ってきた海の幸がメインです。

 

              ・生きている大きなタラバガニ

              ・旬の岩牡蠣

              ・サザエ

              ・甘海老

              ・特大たらこ

              ・その他デザート

 

隣りの、秋田の釣り師も戻っていて、夕食の準備を始めていたので昨晩のお返しにと、タラバガニの

足と岩牡蠣を持っていきました。しばらくすると、向こうの方から降参して来ました。

「岩牡蠣は、どうやって食べるのですか?」と、聞いて来ました。

地元の人に地元の食べ物で溜飲をさげた私は、岩牡蠣をドライバーで開けてあげました。

 

 「夕日のフライマン」は、辺りが暗くなっても戻って来ません。食べ物は、美味しい物から消えて

いきます。ビールを片手に、私達はただ黙々と食べ続けていました。I君の事を忘れて・・・

しかし、流石に「夕日のフライマン」でした。この荒れた渓流で岩魚を2匹も釣ったそうです。

 

 

              森の道「マタギ道」

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 ここに、山で使用した為に薄汚れた地図があります。「二ッ森」の名の地図には二ッ森への登山道

が記入されていますが、青秋林道の終点の駐車場と二ッ森の頂上との間にコルが在ります。そのコル

から「泊ノ平」まで、山腹を捲く様に平坦なベルトが走っていますが、そこに、「マタギ道」が在る

と言われていました。

 前回の失敗は、事前のルートのリサーチとメンバー構成に誤りがありました。そこで、今回は山岳

モードで行動出来るメンバーで偵察を兼ねて挑みました。このメンバーなら少々のアドベンチャーは

問題でないと思われました。私と最近の相棒T君、そして世界の荒地の経験の有る税理士のI先生の

三名でした。例の如く、I先生は「津軽の海の幸」と、言う言葉に騙されての参加でした。

 

 初日、夜明けの青秋林道終点の駐車場は、霧と風雨に包まれていました。 雨の中の、藪道の下降

は考えただけで、ウンザリしましたのでアッサリと引き上げました。山を下りて、町で買い物をして

いると、突然の豪雨に見まわれましたので、その日は、一切の野外活動を中止して海岸の近くの白神

温泉に泊まりましたが、翌日は、天気が回復したので再び青秋林道の終点の駐車場に向かいました。

 そして、二ッ森への登山道を登り出しましたが、途中にある例のコルの左側に、踏み跡が山を捲く

様に続いていました。

 

 笹薮を辿るその道は、最初から不明瞭でしたが、進むにつれ益々あやふやに成って行きましたが、

人の行動は所詮、皆同じで、藪の中に立派な携帯用のナタが落ちていました。

しかし、涸沢を下りた平地に着いた時、ついに、道は猛烈な笹藪の中へ消えてしまいました。辺りを、

探しても見つかりませんので、試しに藪を突破してみると、猛烈な藪の向こう側の涸沢に、転げ落ち

る様に辿り着くと、そこには、赤いテープの目印が木の枝に付けてありました。 それが、昔からの

マタギ道の踏み跡を示すしるしでした。そして、その目印は下り方向の為に付けられていましたので、

下るときには良く見えますが、逆の登り方向では藪の為に見難いときがありました。そんな事は、気

にも止めずに、所々に付けられた赤いテープの印に導かれて、奥へ奥へと入っていきました。

 マタギ道は、山腹を平行になぞり、途中で、小さな涸れ沢を幾つか横切っていましたが、やがて、

大きな谷が現れました。その谷こそ、「二ッ森」頂上からの例の涸沢に続く谷でした。急な、藪に覆

われたガレ場を使い谷に下りると、水がチョロチョロと流れていました。谷を横切り、赤いテープの

目印が付いている木を目指して急な崖を登って再び森の中に入り、マタギ道を伝って行きました。

 

 森の中は、ブナの原生林では下草が無く歩き易いのですが、雑木林では笹薮のため、赤いテープを

見つけるのも苦労するほどの藪の中のマタギ道でした。小さな涸れ沢を幾つか横切ると、笹に覆われ

たコルに着きました。そのコルの右前方に「泊ノ平」がありましたが、ここで、マタギ道は消えてし

まいました。猛烈な藪が、マタギ道が有る筈の方向の斜面を覆い、閉ざしていました。

 しかし、泊ノ平には何本もの沢があり、どれを下りても奥二股に辿り着けるはずでした。そして、

一番手前のカネマサコ沢は、途中に、滝も無く簡単に下れるはずでした。ここまでは、さすが、山岳

モードのメンバーで、駐車場から約2時間掛かりましたが、全員が元気一杯で快調なペースで下って

来ましたが、すでに、偵察行為の範中は越えていました。

 

 ブナの森の中、泊ノ平の方向に藪をかき分けて行くと、涸れ沢がありましたが、それは、本当に沢

の始まりでした。平らな斜面に、浅い溝が出来て、やがて深い溝に成りながら下り始めて行きました。

 段々と、深くV字と成った溝は、やがて他の溝と合流し、そして、水が流れる沢と成りました。

ここで、靴を渓流用のクライミングシューズに履き替えました。沢通しに下っていきますと、無いは

ずの滝が現れました。10m位の滝でしたので、右手の尾根から捲きましたが、中々沢には降りられ

ませんでした。沢の脇の原生林に深く分け入り、下降ルートを探して行きました。急な涸沢を過ぎた

所に、沢に下る小尾根が有ったのでカエデの枝にぶら下がって沢に降りました。降りた時に、カエデ

の枝は元の位置に戻り、下からは届かなく成りましたが、帰りの事は今から心配しても仕方がありま

せん。降り立った沢は、岩場交じりの急な沢になり、楽しい下降でドンドン高度を下げて行きました

が、やがて、右手より沢が合流すると、水量も増えて、木立の中を緩やかに流れる立派な沢になりま

した。

 しばらく、平坦な下りが続いたとき、また、滝が現れましたが今度は20m以上の立派な滝でした。

滝の落ち口から、簡単に取り付ける右手の斜面に入りましたが、中々、沢への下降ルートが出てきま

せん。沢の上空50m以上の急な斜面を、木の枝につかまりながら横へ横へと移動して行きました。

途中で現れた涸沢は、沢に直角に落ち込み下降には利用出来ませんでした。3本目の小沢には、大き

な倒木がはまり込んでいたので、それを利用して、やっと沢に降り立ちました。

 さらに、沢通しに滑滝を何ヶ所か巻きながら下っていきますと、一箇所だけ滑滝を降りましたが、

沢をひとまたぎする為、両足の間を沢の全水量が流れて行きました。その後は、何事も無くやっと、

赤石川の支流のキシネクラ沢に降り立ちました。しばらく、キシネクラ沢を下りて行きますと赤石川

の本流に出合いましたが、そこが、目的地の奥二股でした。

 

 さすがに、メンバー全員がくたびれていましたが、駐車場から約4時間の下降でした。

まだ、3時前でしたが合流点のすぐ上の、左側の台地にテントを張りました。そこは、本流の泊沢が

目の前で小滝となり、落ち口の深い淵がある絶景の場所でした。テントの脇と後方には、巨大なブナ

の木が空を覆い、少し、湿気が有りますが落ち着いた雰囲気のある林でした。テントの前の、焚き火

の場所からは、後方のブナの大木と、左手の沢と滝、前方の森の斜面、右手の本流の流れと森に覆わ

れた山々と、溢れるばかりの自然の霊気が取り巻いていました。

 

 相棒のT君が、釣りの仕度を始めました。釣り餌は私の担当なので、ザックの中を捜しましたが、

ブドウ虫のパックは消えていました。ザックに入れたのは確認したので、藪の下降中になくしたので

しょう。しかたがないので、私は毛鉤で、相棒は魚肉ソーセージで釣り出しましたが、岩魚はまった

く反応しませんでした。結局、岩魚の宝庫の源流で一匹も釣れませんでした。魚肉ソーセージは論外

としても、私の毛鉤でも釣れなかったのは、多分、前日の大雨で岩魚が大移動したのでしょう。渓流

にも、泥の跡や水際の倒された植物など、大雨の跡が残されていました。釣りはあきらめて、水菜を

取って帰り、焚き火と夕食の準備にかかりました。

 

 夕闇が迫るころ、下流から、3人のパーテーが上がって来ましたが、私達とは対岸の下流に泊場を

作成して、焚き火を始めていました。彼らは、明日は本流を辿り「二ッ森」に抜ける予定でした。

 念願の、奥二股での夕餉でしたが、相変わらずのカレーでした。しかし、I先生が密かに持込んで

いた赤ワインは、赤石川で冷やされて、焚き火での酒宴にはぴったりの飲物に成りました。先生は、

共同装備は何も分担していなかったはずなのでうれしい誤算でした。こうして、初めての、奥二股の

夜はふけていきました。

 

 

              奇跡の森

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 奥二股の朝は早く、午前4時には起きていました。日曜日の市場に、出来るだけ早く着くために、

朝食もそこ々に午前5時に出発しました。止せば良いのに、何時ものアソビ癖が出て、来た道を戻る

のではなく、左手のマタギ道から「泊ノ平」に抜けるコースを選びました。「泊ノ平」から流れる出

るカピラ沢との合流点へ向かって、支流のキシネクラ沢を登っていきましたが、魚留めの滝の手前に

カピラ沢が流れ込んでいました。

 

 カピラ沢の入り口は、最初から滝があり、結構、難しい場所が続いていましたので、左側の斜面に

向かいました。滝の左の壁を登りそのまま藪をつき抜けると、大きく高捲く踏み跡が有りました。

それは、カピラ沢の左側の林の斜面に沢と平行に付いていましたが、やがて、その踏み跡は沢に降り

て行きました。そこから先のカピラ沢は、難しい場所も無く、段々細く成りながらドンドン高度を上

げて行き、やがて、水も消えて涸沢になりました。

 ここまでは、何の問題も無く登って来ましたが、この辺で、「泊ノ平」へのマタギ道と交差するは

ずでした。涸滝の下で、左側の斜面から右側の斜面への踏み跡がありましたが、しかし、その踏み跡

はすぐに消えてなくなり、また、谷に戻り登り続けました。たぶん、この時から「白神の迷走」が始

まったのでしょう。谷は、V字の急勾配になり、最後の詰めを感じさせましたが、突然、平地に出て

消えてなくなりました。辺りを調べると、どうやら秋田との県境の尾根に出てしまった様でした。

 左手は、かって、私とO君が初めて白神を訪れた秋田の粕毛川源流の善知鳥沢へ下降するマタギ道

で、正面は二ッ森への猛烈なブッシュ帯の尾根でした。右手が、「泊ノ平」へのマタギ道と思われま

したので辿って行きますと、不吉な事に道に迷ってビバークしたと思われる焚き火の跡がありました。

やがて、踏み後は池に突き当たり消えていましたが、県境の尾根にある池の事は知っていましたので、

私達の位置の見当はつきました。

 地図を確認して、右手の藪の斜面から、小沢を伝って下降しました。左の尾根を一本回り込み、次

の沢を少し下降した処に「泊ノ平」は在りました。

 

 そこは、周りの斜面と違うのが一目で分りました。平らになっただけでなく、地表は大きなシダに

覆われていて、清らかな流れが点在し、間を置いたブナやミズナラの大木の枝が空を覆っていました。

木々の葉を通した光を浴びた「泊ノ平」は、まさに、緑のグラデーションに包まれていました。

 少しでも、心に余裕が有ったならその神秘な光景に感動出来たのに、その時は、予定時間を大幅に

遅れてすでに午前11時を過ぎていて、依然、マタギ道から外れているのが最大の懸念でした。そして、

霧が出てきた為に、情景はより神秘的に成りましたが、ルートの判別はより困難に成ってきました。

 

 二ッ森に向かい、右手に昨日下降したカネマサコ沢が在る筈でした。「泊ノ平」を通り過ぎて、山

の斜面を右方向に横断して行きましたが、すぐに、藪に行く手を阻まれました。それは、通行不可能

な太い笹竹の藪でした。涸れ沢を上に辿り、横断可能な斜面を右手に向かい、また追い返されて上に

向かう連続でした。そんな繰り返しの、大自然の藪の真っ只中で、人跡未踏の土地に居る事を感じて

いささか心細く思っていた時に、ふと、足元を見ると、測量の三角点を表す赤い杭が有りました。

 こんな処に、仕事で入って来た人が居た事に感心し、そして、あきれましたが、どうやらブッシュ

帯は突破した様でした。藪が無くなり、ウルイが敷き詰められた湿地帯を過ぎ、やがて、小さな沢に

出会い水を補給したとき、実は、その沢こそ昨日私達が下降した沢でした。そんな事とは知らずに、

そのまま沢を突っ切り対岸の尾根を越して急な山の斜面に出てしまいました。周囲の様子から、現在

の位置が推測されましたが、昨日のルートが何処で交わるのか、上か、下か判断がつきませんでした。

 

 楽な方向の下を選び、下降を開始しましたが、下るに従いいやな予感が強まってきました。完全に、

山の北側の斜面に出たため林の中で下藪が無くなり、楽になりましたが、状況は悪化して来ました。

このまま、下降を続けるのが、肉体的にも精神的にも楽な道ですが、まさに、方角としては最悪の、

谷に降りるルートの可能性がありました。辺りは、霧が漂い、ごく近場しか見えず、行く手の推測は

出来ませんでした。辛いけれど、ここで、引き返すのが定石です。行く手が不確かなときは、別な方

向を試すのが確実な方法ですから、先ほどの地点に戻り、逆方向の上に向かいましたが、正解でした。

しばらく、尾根を登って行くと、そこには、赤いテープの目印があり、昨日通ったコルに出ました。

これで、やっと左から「泊ノ平」を横断して、元のマタギ道に戻ることが出来ました。ここからは、

駐車場まで約二時間が予想されましたが、もう午後一時に成っていました。

 

 それからは、藪の中を透かしたり、折れた木の枝や、踏み跡で方向の見当をつけて赤い目印を見つ

けるゲームになりましたが、順調にマタギ道を辿り、例の二ッ森の頂上直下の大きな沢に着きました。

沢の対岸の急な斜面を、赤いテープの目印の下の笹や木の小枝にぶら下がりながら横断しました。

 また、山腹を捲くマタギ道に出てしばらく行くと、小さな涸沢に出て、道が消えていました。今朝

からのアルバイトで疲労していた私は、ルートファインデングを二人に任しましたが、再びマタギ道

に戻ったときには午後3時を過ぎていました。二ッ森の駐車場までは、一時間掛らない地点まで到達

していましたが、日本海でのバーベキューの予定はすでに消え去っていました。

 

 その上、またまたルートから外れ迷っていました。事態は以外と深刻で、食料と水が無いままでの

藪の中でのビバークの恐れさえ出てきましたが、今日中に下山して家族に連絡をしないと余計な心配

を掛けさせる事が一番の気がかりでした。迫り来る夕闇との競り合いに、焦りながらもルートを捜し

続けました。

 午後5時、暗くなるまで1時間を切ったとき、ビバークを決意しました。道が見つかっても、明る

い内に駐車場に戻れるとは思えませんでした。暗くなるまで行動すると、ビバークの準備が出来ずに

長く辛い夜に成ってしまい、翌日の行動に影響します。残り少ない明るい時間を、快適な場所の確保

と水の補給に使い切りました。T君が涸沢を約100M下り水を補給してきました。

 私は、左手の山の斜面の涸沢の上流に、やっとテントを張れる平坦な場所を見つけました。辺りが

暗く成った時、三人はテントの中で暖かい砂糖水を飲んでいました。食料は有りませんでしたが、調

味料の砂糖が残っていました。 テントの布一枚で周囲から遮断された空間と、タップリある時間、

エネルギーの補給された頭脳で冷静に考えると、帰還ルートが解ったような気がしました。

 私達が、その涸沢を降る事に拘ったのは、複数の人が登って来た跡が付いていたからでした。

しかし、その踏み跡がマタギ道の跡でなく、昨晩合った、本谷を遡行して来たパーティの人達の跡だ

としたら、マタギ道は左手の藪の中に在るはずでした。

 

 翌朝、3時から下山準備を開始しました。前日のハードな藪漕ぎで、私の肩にはザック擦れの痕が

ついていました。出来るだけ速く脱出する事が最優先でしたので、テントを捨て荷を軽くして明るく

成る4時には再びルートを探していましたが、マタギ道は前日その前を何回も通り過ぎた藪の中に有

りました。前夜、テントの中で予想していた場所でした。その後も、1・2ヶ所で迷いましたが六時

には駐車場に戻っていました。

 

 山から下りて、国道7号線に入り家族に電話連絡した後、早朝のためやっと開いていた食堂を見つ

けて、食事に有りつけたのは8時になっていました。その時、鉄の胃と言われた私の胃が、生まれて

初めて食べ物を受け付けない事を経験しました。小さく成った胃とストレスが、食べ物が入って来る

のを拒否していました。

 盛岡経由で帰る時は必ず寄っていく八幡平の後生掛温泉に入りましたが、爛れたザック擦れの痕は

万能の効能を誇る後生掛温泉でも治りませんでした。初めての、屈辱と敗北感を抱いての帰還でした。

しかし、そんな中でもあの「泊ノ平」の森は、一生忘れられない光景として心の奥に残り、何時の日

にか、必ず戻って行くことでしょう。

 

 

              奥二股にて

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 赤石川には、3ヶ所の聖域が在ると思います。「緑の神殿」、「奥二股」そして「泊ノ平」と、

いずれおとらず個性的で神秘的な処です。

 赤石川源流、奥二股、そこは白神の中心地です。文明から遥かに離れ原始の世界が広がっています。

位置的に、中心と言う訳ではありませんが、抽象的な象徴と言う意味の中心です。そこは、単に二つ

の川が合流する場所では無く、二つの精気が交わる場所です。

 辺り一帯の木々は、霊気を身にまとい、みな威厳を持って天を指し、一本、一本が独立していなが

らも、森を構成しています。川は、霊気の通り道となり森に霊気を与え続けています。夜、焚き火を

しながらじっと考え込んでいると、廻りの雰囲気に影響されて、普段、考えもしない色々な事が浮ん

では消えて行きます。自分達が何を破壊し、何を滅ぼそうとしているのかをハッキリ解かっていたい

と想います。

 と、ここまで書いて奥二股は他の地点(赤石川下流・追良瀬川)と何処が違うのか考えてみますと、

人との出合いが少ない事に気がつきました。合流点で在り、源流遡行の交通の要で有りながら何時も

キャンプ地を独占でき、他のパーティとは滅多に交流しません。それ程、訪れる人が少ない地域だか

ら現在の雰囲気が残っていくのでしょう。

 

 

 ここで、たまには私以外の人の、客観的な記述も読んでみて下さい。以下は、O君が初めて行った

奥二股の記録です。

 

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 9月23日 1:00久喜インターより東北道、秋田道経由にて八森町へ。

9:00に八森町西秋林道入り口に到着したけど林道工事でお昼の1時間と17:00移行でないと

通行不可。仕方なくぶなっこランドのPで身支度しながら時間つぶし。天気は曇りで気温は涼しい。

12:30二つ森Pに到着。誰も居ない。すぐさま出発。二つ森登山道の途中から下降するとこれか

らは創造を絶する藪こぎの連続。チシマザサの茂みの中を微かに残る踏み跡と所々にビニールテープ

のマーカーを目印に進行。しかも40度以上の傾斜した斜面のトラバースだから滑る滑る。

 延々2時間の藪こぎから抜けたら今度は水のない沢(最上流部)を下降。そしてナメ滝の高巻きを

2、3回でやっと赤石本流の枝沢に16:00ころ到着。休憩しながら荷物を置いて枝沢の魚止めま

で釣りあがる。途中20から25がポロポロ。そして魚止めの滝壷で32、3を一本。荷物を回収し

ながら奥の二又まで下る。17:30ごろ奥の二又に到着。直ぐにビバーク&夕飯の準備にかかる。

今回は飯盒炊飯してボンカレーでした。19:30には消灯。夜中に雨が2、3回降る。

 

 9月24日 晴天6:00ごろ竹ちゃんに起こされる。朝食後、早速反対側の沢を釣り上がる。

当初から20オーバーのが数知れず。チョットしたポイントにも尺物が出る。2時間足らずで一人一

本の尺と数え切れない小物(とは言っても25前後)。井野くんの分も楽しんどいたからね。

30分でテント場に戻り帰路につく。

....また来るにも増した大苦闘.........心臓バクバク放心状態.........

二つ森Pに15:00無事帰還。全員パンツ1まいになって缶ビールで乾杯!。(うめぇー)折から

の台風が接近しているので何時もの風呂に行って、コテージをリザーブ成功。この夜台風は北海道に

抜けた。

 9月25日 曇ったり雨降ったり風吹いたり朝風呂あびてチェックアウト。観光市場で何時もの買

い出し。宴会場所を探しながら秋田道で南下。夕刻、鳴子温泉のキャンプ場で宴会開始。

その後、温泉に浸かって東北道古川から帰路に着く。1:00に自宅着。       

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以上です。奥二股に入るのは中々、大変な事ですが、せっかく奥二股まで行って、釣りの事しか書い

ていませんね。

 

 

              最後の森

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 赤石川、奥二股以遠の源流、その地は下流の楽園地帯と違い、冒険の世界です。山々が折り重なり、

険しくなった山肌に深く分け入る渓谷には、峡谷と滝が続き、入って行くには覚悟と準備が必要です。

赤石川で残された、未知の世界でした。 ここしばらく使っていたザイルは、既に単なるひもに成り

下がっていたので、新しいザイルを購入し、他にも、登攀用具を新調して備えました。

 

 7月の連休に、相棒のT君と二人で最後の森の旅に向かいました。

 

 何回目かの奥二股の夜でしたが、季節毎に異なる装いを見せる秘境には、訪れる度に新鮮な感覚で

接する事が出来ました。新緑も終わり、緑が一番濃い季節の雨上がりの朝、本谷の出合いの滝を登り、

峡谷を通り抜けて、いよいよ、見知らぬ源流を目指して旅立ちました。

 

 狭い樋状の赤い岩の峡谷を登って、魚止めの滝へたどり着きました。大物を狙って、T君が最後の

挑戦をしましたが、中型の岩魚が一匹釣れただけでした。 少し行くと、20mを越す本谷で最大の

大滝が現れました。ここからは、釣り人の世界から沢登りの世界に変わるところです。

 大滝は、残置ハーケンも有り直登も出来ますが、より安全に思われた右手ルンゼからのルートを選

びました。15m程、ルンゼを登ってから左手の草付の壁に取り付いて、斜め上の滝の落ち口を目指

して、草、木の枝、古い固定ロープなど掴める物は何でも掴かんでよじ登ります。何か、釈然としな

いルートですが大滝の上には抜ける事が出来ました。

 大滝の上にはさらに15mの立派な滑滝が現れましたが、右手から簡単に滝を越し。流れが細く成

り小さく成った沢を登って行きました。

 やがて、3本の沢が三つの滝で合流する珍しい景色の地点に到達しました。 ここを見ただけで、

はるばるやって来た甲斐が有りました。合流点に掛かる三滝の真中の滝を登って、真中の沢に入って

いきました。小さな滝を幾つか越して、源流地帯の様相を示し出した沢を遡行して行くと10mの滝

に出会いました。 黒く濡れた岩は、滑り易く思われたので、左のガレ場から草附きの壁をつたい、

ザイルを使って谷に戻り、滝を廻りこみましたが、全行程で一番イヤらしい場所でしたが、この辺の

地形や植生の形態に慣れた私達は、自分達の位置や状態を正確に判断する事が出来ましたし、もうす

ぐに終点に到着するのが分かっていました。この地域にも慣れすぎたのかもしれません。

 戻った谷からは、やがて現れた残雪を避けて、また左手の尾根に取り付いて、そのまま藪を抜けて

マタギ道へ強引に抜け出ました。午前10時、二つ森の駐車場に到着していました。

 

 トラブルもなく、予想通りの行程と時間でトレース出来ましたので、お昼前には日本海を望む温泉

に入っていましたが、思い出していたのは前日の奥二股での出来事でした。通いなれたマタギ道を辿

り、奥二股に余裕を持って入った私達は、キシネクラ沢に岩魚釣りに行きました。

 

 最近、渓流で病んでいる岩魚を見る事が多くなりました。片目が見えないために、緩やかな流れの

中でじっとして動かない岩魚。体に、人の手の跡がやけどの様に付いている岩魚。物が食べれない為

にやせ細ってしまった岩魚。みんな、釣り人に釣られた後にリリースされて命が一時は助かった岩魚

達です。しかし、あの野生の輝きが失われ病んだ生活をおくるとき、本当にリリースされたのでしょ

うか。何れにしても、楽しみの為や食べる為に、源流の岩魚を釣ることは限界に来ているのでしょう。

 魚止めの滝で、滝壷に居た岩魚を釣りました。それは、立派な源流の顔立ちの尺岩魚でした。いつ

もなら、もう十分なので釣りを止めるところです。ところが、もう止めようと思っても止められずに、

次々と釣り上げては、後ろの流れに放ちながら、遂にその滝壷の岩魚を全部釣り上げてしまいました。

そして、私の岩魚釣りは終わりました。

 

 

              旅の終わり

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 O君が、例年の9月の行事である、白神山地に行こうとメールして来ました。

その時、ここ数年ご無沙汰していた、赤石川の下流域にむしょうに行きたくなりました。林道が閉鎖

されてから赤石ダムへ入るのには、徒歩で2時間以上のアプローチが必要になりました。往復4時間

の強制労働は他に魅力的なルートが有る為に、赤石川の下流地帯を敬遠させるのに十分な理由でした。

 しかし、源流地帯の探索も一息ついて、岩魚釣りへの思いが変わり、自身が変化し始めた時、原点

に立ち帰り、赤石川に浸りたくなりました。懐かしさがこみ上げて来て、赤石川に向かいました。

 

 9月の連休直前に、我が侭なユーザーが、連休までにシステムを安定させて欲しいと言って来まし

た。オリンピックを落着いて見たいと言う、とんでもない理由でした。まあ、大した作業ではないと

思われたので、出発日の前日に引き受けました。かねてから、不審な動きをするPCを新しいPCに

移行するだけの作業で、IBM社3人、当社2名、ユーザー1名の技術者が見守る中の事でした。

 その、PCは反乱を起こし、徹底したサボタージュで抵抗しました。たかが、ディスクのコピーで

徹夜になりました。そして、次の日青森に向けて夜中に出発しました。

 

 今回の旅は、トラブルの連続でした。

メンバーは、O君と、彼の職場の後輩のIT君に、私と、会社の同僚のT君の4人でした。

まず、私の家への合流が一時間遅れ、その為、東北自動車道で深夜の渋滞に巻き込まれ、白神ライン

での事故車の後片付けの手伝いと続きました。下のキャンプ場のバスと千葉ナンバーの乗用車の事故

で、乗用車の前輪が路肩で脱輪していました、林道でも気を付けなければと言った直後に、カーブで

対向車が突っ込んで来ました。此方は、止まりましたが、対向車は下りで車輪がロックして止まりま

せん。ビックリして目が真ん丸くなった対向車の運転手が、助手席に乗っていた私の目の前に迫って

きました。皆の願いも空しく、車はドンとぶつかりました。関係者の全員が無傷なのが救いでしたが、

この事故の後処理を考えるとユウツになりました。会社から、車を借りてきたO君は始末書の文面を

考えてウンザリしていました。

弘西林道も、白神ラインに名前が変わって都会的になり事故も増えたようです。

 

 いろいろありましたが、昼前の11時には奥赤石林道の入り口に着いていました。

一泊二日の装備を準備して、徒歩で出発しました。林道の入り口は、鉄のゲートでロックされていま

したが、セキュリティホールの人が通れる裂け目が脇に有りました。しかし、その先の橋を渡った所

に門番が居ました。1mもある青大将が林道の真中に横たわっていました。思わず、このまま引換え

そうかと思ったとき、脇の林の中に去って行ってくれました。

 林道歩きはそれほど苦にならず、ダムには2時間で着きましたが、ラッキーだったのは、ダムの水

が抜けていて、湖底を歩いて赤石川の流れ込みに着けました。

 

 私達も、変わってしまいましたが、赤石川も変わっていました。あれから、何回も洪水に襲われた

影響でしょうか、湖への流れ込みが少し広くなり、川幅も広がっていました。川の中にも、丸い石が

敷き詰められ、より穏やかに成っていました。しかし、私には赤石川がより美しさを増した様に思わ

れました。緩やかに蛇行する川と、そこを覆う、水色に溶け込む木立の緑がエメラルド色の淵を創り、

きらめく浅瀬は、色とりどりの玉石の上に、あくまでも透明な水が流れていました。

 私達は、例の大きな木の脇を通り、浅くなった流れの中をゆったりと登っていきました。

山の中の川とは思えないほど緩やかに流れる川は、大きな大きなプールを作っていました。そして、

プールの底には色とりどりの玉石が敷き詰められ、その上を水は淀まずに、清らかで透き通った水は、

あくまでも静かに流れ続けていました。しかも、膝までの深さなので、プールの中を歩いて行けます。

そのプールの下で、キャンプをしました。

 

 ブナと水ナラの大木の下、広い河原の真中で焚き火を燃やし、川辺に、テントを張りました。

その場所にしたのは、流木のせいでした。最近、谷や山に入っても焚き火をゆっくり楽しめませんで

した。時間がない、薪がない、場所が不適当等でなかなか本式の焚き火が出来ませんでした。しかし、

そこには、流木が山の様に流れ着いていましたので、会則を破り、盛大な焚き火をしていました。

 

 皆は、それぞれに岩魚釣りに出かけていました。

T君が戻って来ました。下流で大きな岩魚を釣り、その後にもう一匹釣った岩魚に、針を飲まれてし

まったので、針外しを取りに戻ったのでした。一緒にその場所に行って見ると、大きな倒木が緑の淵

に掛る絶好のポイントでした。岩魚は中型で、針は喉の奥にシッカリと食い込んでいました。

 出来るだけ、岩魚に触れずに針を外しましたが、時間が掛り過ぎてしまいました。水の中で岩魚を

支えて回復を待ちましたが、やっとヨロヨロと流れに戻って行きました。「ガンバレ」と、見送りま

したが、何か泳ぎ方が頼り無さげでした。普通、リリースした岩魚は一目散に流れの中に逃げ込みま

す。流石に、T君も釣りを止めて、二人で小沢に入り水菜とフキを取りました。

 

 

 その夜は、久し振りに焚き火を堪能しながら白神の夜を仲間達と過ごしました。 例により、O君

は調味料の万能セットを取り出し、フキ料理に掛かっていましたが、不幸な事に秋も深まり、材料が

堅くなり過ぎていました。あっという間に暴走したO君は、誰も止める間も無く、強烈なニンニクと

唐辛子のカタマリを作成してしまいました。フキのぺペロンチーノ・あ・ら醤油味でした。

その夜の、献立はスパゲッティ・ミートソースでしたが、フキの突然変異と不思議に合っていました。

 

 夜中に、テントの中まで差し込む明かりに目を覚ましました。月が中天に掛り、辺りは不思議な明

かりに包まれていました。ここ数日の睡眠不足にも関わらず一人で起きだし、焚き火のそばで、夜の

川と森と空に見入っていました。何時もは、まったく思い出しませんが、こんな時だけは、むしょう

にタバコが吸いたくなります。こんな「夜」と「焚き火」と「タバコ」があれば、精霊たちと通信す

る事が出来るかも知れません。「お酒」? 当然、必要でしょう。

 

 翌朝、上流に釣り道具だけ持って出かけました。

釣りは、O君とIT君の二人だけで、T君と私は冷やかしにまわりました。薄く掛った朝もやの中を、

ゆっくりと釣り上がって行きました。大きな淵でIT君が尺岩魚を釣りました。O君は、相変わらず

ヘタでした。私がヤキモキしていると、O君は、何とすぐ上の淵で大きな岩魚を釣り上げました。

それは、激しく抵抗し、銀色に輝く湖からの特大の贈り物でした。

 満面の笑みを浮かべているO君に「やったね、おめでとう」と言い、私は、見事に岩魚の上あごに

掛っている針を、素早く外して岩魚をリリースしました。その瞬間、O君は理解不能の表情を浮かべ

ていました。眺めて感激に浸る事も、触る事も、写真に撮る事も許されずに、生涯の傑作は別れも言

わずに流れに消えて行きました。

 

 その後、私達は例の「緑の神殿」を訪れ、久し振りの対面に感激しながら、その上の滝の岩場を超

えて上流へと遡って行きました。しかし、時間の関係もあり二股まで行かずに引き返しましたが、

数年振りの、赤石川の下流域の眺めと雰囲気と水に浸ってきました。

 

 下山の時、キャンプサイトを元の状態に復元して、金属・プラスティック類のゴミは燃やさずに、

持ち帰りました。キャンプサイトから200m程下った所で、何気なく流れの中央を歩いていました。

その時、後にいた仲間が昨日の岩魚を流れの中に見つけました。白い腹を見せ岩に抱かれて居ました

が、死んでからも、白神の流れに洗われた岩魚の肌は輝いていました。そのまま、自然に任せるしか

ありませんでした。偶然の出来事でしたが、自分達のしてきた事を、自分達の都合の良いほうに考え

る事への警鐘に思えました。出来るだけ、事実を理解しようとし、苦い事実でも受け止めなければと

思いました。しかし、湖の流れ込みで、日帰りと思われる6人の釣り人のパーテーとすれ違いました。

あの岩魚達は、また命を賭けた試練を受けなければなりません。

 

 林道を歩き、例の台地に登り、皆を待ちながら山を振返り、赤石ダムとその奥を見つめていました。

そこは、10年以上前に、始めて森と谷の白神の山々を眺めていた所でした。

 

 

こうして、私の岩魚を求めての白神での長い旅は終わりました。

旅は、何時は終わります。

しかし、また、新しい旅が始まるかもしれません。

 

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 東北自動車道も、仙台を過ぎると流石に交通量も減りローカル線の装いになります。辺りは、闇夜

と明方の間で迷っている様な薄明かりが広がり、過ぎ去った道は、遠く長い距離を記録しています。

しかし、目的地はまだ遠く・・・

 

2000年12月 K.T