巡礼の月山(回廊にて)  (2000年 8月12日〜13日)

 

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                      第一部 渓 流

 

           ★去年の出来事..........(雨の中の撤退)

           ★上柳沢の出会い.........(月山再び)

           ★立谷沢川の遡行.........(渓流へ)

           ★念仏ヶ原へ...........(木道を辿って)

           ★肘折登山道...........(避難小屋の一夜)

 

 

                      第二部 山 道

 

           ★西普陀落「にしふだらく」....(川を渉って)

           ★月山への登り..........(草原での休憩)

           ★月山山頂............(人ごみの中の山頂)

           ★下山路.............(庭園への下降)

 

 

                      第三部 聖 地

 

           ★弥陀ヶ原から剣ヶ峰へ......(修験者の道)

           ★御浜池.............(苦行の開始)

           ★東普陀落「ひがしふだらく」...(聖地にて)

           ★緑の谷.............(再び渓流へ)

           ★ニゴリ沢から立谷沢川へ.....(林道での別れ)

           ★再会..............(修行の続き)

 

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              [序 章]

 

 2000年 8月11日、お盆休みの前夜、深夜の高速道路では渋滞が始まっていた。

パートナーを迎えに、東京に向かって走る。対向斜線には、延々と車が連なっていた。

もうすぐ、この渋滞の中に飲み込まれる事を思うと、うんざりしていた。

 石神井の相棒の家までは、「月山」の事を考えていた。そして、去年の雨の中での撤退

を思い出していた。

 

 東北・山形の出羽三山は、その特異な山岳宗教で知られている。 その中でも月山は、

その長大な稜線と、西側の城砦の様な岩壁と、東側の広大なスロープによる際立った自然

環境により、冬の豪雪が秋まで残り、夏スキーでも有名だ。

 ここ数年の、白神山地への山行にマンネリを感じ、新しい刺激に引かれていた。渓流釣

を始めた頃に読んだ月山の描写に、勝手なイメージを加えて、「月山」に憧れていた。

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【月山は、古くから修験道の山として行者達と信仰者が、数々の「難行苦行」を行った

  行場の山である。修験者が、神の住む山として崇拝した聖地がニゴリ沢の奥にある。

  この地は「東普陀落」と言って、神が天界から下山する聖地である。立谷沢川は峻険

  すぎる為、行場にならなかった。車道は最奥の堰堤まであるが、増水すると帰れない。

  二泊ほどで肘折登山道まで釣りぬける事が出来る。】

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 登山道まで釣り抜ける? しかし、その後に車までどうやって戻る? 同じ道を引き返

すのは能がない。地図を眺めていると...「あった!」

 

 月山の西部、城砦状岩壁に回りこむ様に流れる、立谷沢川の核心部を登山道まで遡り、

肘折登山道から月山に登り、一般縦走路で弥陀ヶ原の八合目駐車場に下る。 そこから、

ハイキングコースで御浜池に下り、健脚者向けだが、一時間少々でニゴリ沢林道に降りら

れる。後は、立谷沢川林道を登れば車に戻れる。これで月山巡礼「回廊」の完成だ!

 

              今回の目標  1.月山地域の、周回コースによる探索

                          2.ハードな山行による、体力の強化と軽量化

              行動予定    一日目 立谷沢川の沢登り、野営

                          二日目 月山縦走、御浜池、林道を経て車に戻る

              イベント    沢登り、岩魚つり、焚き火、野営、山登り

              参加隊員    & (最強メンバー二人?)

 天才的な企画なんじゃないか?

 しかし、この計画には些細な誤解があった。

 

                      第一部 渓 流

 

 

           ★去年の出来事........(雨の中の撤退)

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 「月山」、それは2年越しの試みになっていた。去年の、やはり、同じお盆休みに、同

じメンバーで月山に挑んでいた。

 1999年8月14日、朝8時、前夜までの集中豪雨により、日本の各地で様々な被害

が起きていた。ここ、立谷沢川林道の入り口にも、通行止めのチェーンが張られていた。

 

 夜討ち朝駆けはいつもの事で、前夜に東京を出発して、東北自動車道から山形道に入り、

羽黒山を経由して、朝には瀬場の部落に着いていた。雲ってはいたが雨はあがっていた。

 待っていても、開通する様子もなさそうだ。林道を歩くと、3時間ぐらいが予想された。

決意して、沢登り用の戦闘服(ボロのジャージだけど)に着替えた。一泊二日の装備と食料

を担いで、相棒と二人で立谷沢川林道を歩き始めた。

 

 立谷沢川も、この辺はまだ大きな谷で、対岸は遥か彼方にあり、川底は林道から100

m以上離れていた。川には、絶望的な、真茶色の濁流が流れていた。林道を歩いていると、

不思議な物が彼方此方にあった。曲線を描いて、流木・岩石が林道に点々と置かれていた。

道路の上を濁流が流れた跡だ。想像を絶する水流が道路を襲い、カーブで流れがゆるくな

り、流木・岩石を保持できなくなって、置いていった跡だ。しばらく行くと、沢の出水に

より道路が切断されていた。歩いて超えるには問題ないが、車では4WDでも無理だ。

 

 さいわい、天気は曇りで気温も上がらず、意外とさわやかで、昨日の大雨で流されたの

か虫も少なく、快調なペースで発電所の在る、ニゴリ沢林道との分岐点に到着した。

 谷も、大分狭まって来て立谷沢川林道は川底へ下って行った。 橋を渡り、対岸を登る

と林道の終点はすぐのはずだった。しかし、林道の終点のはずの広場の先には、支流の谷

を越える巨大なアーチ型の橋が架かっていた。その先も林道は延々と続き、上柳沢の出会

いで終わっていた。

 

 出発から、約3時間が経過していが、予想以上に上流にいた。立谷沢川も沢の形状にな

り、増えていた水も引いて奇跡的に澄んでいた。この先の行程を続行しても、問題なさそ

うだった。登山靴を、渓流用のクライミングシューズに履き替えていると、山菜取りの地

元のオジサン達二人が登って来た。

 

「あんちゃん達、速いね。追いつけなかったよ〜」

「釣りかね〜?」

「いえ、月山への登山です」(釣竿も一応、持ってはいたが)

「へ〜、めずらしいね。まあ、クマに気をつけて〜」

 

と、捨て台詞を残して、先に登って行った。そうだ!、ここは有名なクマの生息地だった。

 

 渓流に入る。流れは、昨日からの雨の名残りを含み、なか々に手強い。しかし、始めて

の土地に踏み入る興奮が、二人の心に流れていた。遡行を開始して30分、開始直後から

ポツポツと落ち出した雨がしだいに勢いを増して来た。

 過去、今の相棒との山行で、雨で中止になった事は無かった。史上最強のお天気コンビ

だった。しかし、渓流が険しさを増し、最初の関門を迎えたとき、雨の様子が変わった。

特に激しくなったわけではないが、本気になったみたいだ。絶え間無く、冷たく、無表情

に降ってきた。山肌を、霧が覆い視界を遮って、白と黒の世界が、迫って来た。

 微かな、雨への恐れが湧いてきた。

 

 どうせ、遡行で水に入るので雨に濡れるのは気にならない。しかし、今夜のキャンプの

状況を思うとやる気が失せていく。濡れて、惨めで、楽しみにしている焚き火も出来ない。

今朝の林道の、増水による不気味な光景と、「増水すると帰れない」と言う言葉も思い出

した。未練は有ったが、

 

 「帰ろう!」

 

 雨の中での退却は、虫が少なくて助かった。この時期の日本海側の東北の山では、害虫

の被害が恐れられていた。アブ・ブヨ・ヒルが三大害虫だ。幸い、今まではこの時期・こ

の地域の山行がなく、襲われた経験が無かった。相棒のザックに、小さな虫が数匹まとわ

り着いている。可愛いもんだ。不思議と、私には虫がまとわり着かない。

 

 道路が切断されていた所に戻ると、パワーショベルでの復旧作業が行われていた。パワ

ーショベルでの作業は、巨大なロボットが道路を修復しているみたいだった。

邪魔な石をつまみ、隙間に砂利を入れ、上からトントンとならし、手早く修復していった。

作業現場の向こう側に渡ると、山菜取りのオジサン達が、軽トラックで下山するところだ

った。荷台に乗せてもらいギャップの度に跳ねながら下って行った。雨も上がり、荷台の

上から立谷沢川を見ると、皮肉にも、巨大な虹のアーチが架かっていた。

 

 あっという間に車に着いて、お礼を言って別れた。すぐに汗まみれの服を着替えて、車

で出発した。まだ、午後の4時前だった。下の町の温泉センターに入り、露天風呂から眺

めると、夕暮れの月山の山と谷は、再び厚く暗い雲に覆われていた。

 

 

              ★上柳沢の出会い.......(月山再び)

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 2000年 8月12日午前9時、あれから一年、再び上柳沢の出会いに戻っていた。

 

 昨晩は、お盆休みの前夜で、深夜の高速道路では各地で渋滞が激しく、東北自動車道は

特に混雑が予想されていた。そこで、前回と違い関越道路経由の日本海側からアプローチ

した。前回の山行と違い、車で立谷沢川林道の最上部まで一気に乗入れた。林道の終点で

は、さらに、上流に巨大な堰堤の工事が行われていた。いったい何処まで侵入し破壊する

のか。

 

 台風の影響と、前線の動きがハッキリしなかったが、天気は曇りながらも小康状態を保

っていた。沢登り用の服に着替え。一泊二日の装備と食料を準備して、立谷沢川に入った。

今夜は、念仏ヶ原の避難小屋を利用する予定だ。テントもザイルも必要ないので置いてい

こうとすると、相棒がクレームを付けてきた。

 

「避難小屋が無かったらどうするの?」

「道が無かったらどうするの?」

 

 何時もの事ながら、どうして、その様な悲観的思考が出来るのか、とても理解が出来な

いが、強化トレーニングにはなるので、フル装備を持参する。

 相棒とは、過去、何年間も各地の渓流に入っていたので、お互いの、長所も欠点もバレ

ていた。私の、超楽天的な性格も見抜かれていた。

年齢は、一回り以上違っていたが、チームとして、体力・精神力ともバランスがとれてい

たし、つい先月も、白神山地・赤石川の本谷上部を、一緒に遡行していた。

 

 明日の午後には、月山経由で再びここに戻る予定だった。

 

 

              ★立谷沢川の遡行.......(渓流へ)

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 流れに入る。水流は、去年と同じで先日からの雨の名残りを含み、なか々に手強い。

しかし、遡行を開始して30分で、前回の撤収地点に達した。ここからは未知の世界だ。

気を引き締めて遡行を再開する。途中、流れの強い渡渉地点には、工事の為の固定ロープ

が張られていた。

 前方に、人影が見えた。釣人だ。下流からも釣人が追ってくる。さすがに、お盆休みだ。

今日の渓流は、結構にぎやかで、混雑しだした。先行の釣人に追いついて、

 

「登山なので、お先に失礼します。出来るだけ水に入らずに行きますから」

 

と断って、抜いて行くと谷が狭まり岩場が出てきた。その手前を、左に流れを渡れば楽に

通過できるが、先に、水に入らずと言った手前、強引に右手の岩壁に取り付いた。

「ヤバイ!」

水流が激しく岩を噛み、手懸りもない。落ちたら、全身ずぶ濡れ間違いなしだ。下流を見

たら、釣人のオジサンが手招きしていた。こんな所で意地を張っていても、時間の無駄な

のでギブアップして、下のオジサン達と一緒に、流れを渡って岩場をパスした。 それか

らは、遠慮無く水の中に入り、水を蹴散らしながら遡って行った。

 

 「岩魚よ逃げな、釣人が来るよ!」今日からは、お盆だ。殺生はいけません。

 

 やがて、大崩壊に着いた。

幅200m以上、長さは下からは確認できない。遥か山の上から山肌が崩れている。巨大

なボーリング場。落下した大きな岩石は、50m以上先の対岸に衝突していた。もしかし

てピンは、俺達2ピン? スペアーを取られない様に、二人は離れて通過した。

 

 大崩壊を過ぎると、谷はさらに狭まり側壁が高く聳え立ってきた。その先に、釣人が居

た。今度は、二人連れが昼食の休憩で、釣り糸を垂れながら休息していた。此処から先は、

渓流つりの範ちゅうを超え、沢登の世界だ。流れが急になり、渡渉地点が限定されてきた。

今までより水の圧力が増加する。ついにザイルを出して、結び合い、確保しながらの遡行

になった。深さも腰までになり、水から上がると暖かさを、日向の岩に求めた。

 谷がS字にカーブする。側壁は垂直に切立ち、流れは激流となり、一見すると「アウト」

だが、左手から辛うじてパスした。その上の、左手からの枝沢の合流点で、大休止にした。

 

 此処までは、変化に富んではいるが、白神の渓流の、ため息が出る程の美しさも無く、

谷川岳の岩登りの楽しさも無い。特徴は急流だ。崩壊した岩の間を水流が駆け下り、水は

岩屑を含み、少し濁っている。水に流され、水に逆らい、水の弱点を探す、それが此処の

ルール?

 

 遡行を再開して、しばらくすると右手より月山沢が合流する。 ほぼ、水量を二分する

月山沢は、月山の西側の要塞状岩壁に突き上げていた。この合流点が野営地の候補だった

が、余り良い場所とは言えず、予定通り登山道を目指した。前方の稜線が近くなってきた。

少し、開けていた谷も再び狭まり、さらに滝も現れだした。この峡谷を突破すると遡行も

終わるはずだ。雨が降出してきた。去年の事が思い出されたが、ここは遥かに上流だった。

気になったのは、ここまでの間に、人工的な木片と金属の残骸が散蹟していた事だ。

 

 幸い、雨はすぐにあがった。残雪があらわれ、小滝も結構出てきたが、岩登りを楽しむ

程ではなかった。しかし、遂に5mの滝が現れた。最後の障害と思いきや、一抱え以上あ

る大木が、斜めに階段の様に架かっていた。大木の上を水がサラサラと流れ、滑りやすか

ったが楽にパスすると、さらに滝が現れる。「ん!」これは、なかなかシブトイ!

崩れやすい壁を登ると、谷が開けていた。左手より、冷たくておいしい水の沢が流れ込み。

少し行くと終わりだった。

 午後3時を過ぎていた。上柳沢の出会い、車から6時間たっていた。

相棒と、ミドルタッチで祝福した。何もかもが完璧な山行だった。

 

 前方に、赤い橋が在った。

 

 

              ★念仏ヶ原へ.........(木道を辿って)

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 赤い橋は、左は念仏ヶ原を経て肘折温泉へ、右は月山の頂上への肘折登山道の橋だった。

3m近い高さの、鉄製の頑丈な橋だった。しかし、真中が崩壊していた。下で見た残骸は、

破壊された橋桁だった。この橋を破壊した水流は、製作者と私の想像力を超えていた。

 

 今夜は、念仏ヶ原の避難小屋に泊まる予定だった。

左の念仏ヶ原へは、30分ぐらいの登りなので、渓流用のクライミングシューズのままで

履き替えずに出発した。鎖場の有る、結構きつい登りで、バテたが時間通りに念仏ヶ原へ

到着した。

 

 念仏ヶ原の木道は、切り開かれた藪の中に続いていた。所々で藪が開けて、小さな湿原

が現れた。少し行くと、広く開かれた場所に出たとき、湿原の彼方に月山が現れた。山頂

付近は雲に覆われていたが、広大な緑の山腹が正面に横たわっていた。

 

「ところで、避難小屋は何処に在るの?」と、相棒が聞く。

「どっか、その辺さ」

 

 さらに、木道を歩くが何も現れない。乾いた、木道の上をグチャグチャになった渓流用

の靴でさらに10分以上歩く。

 

「明日は、絶対! 登山靴で歩くよ」

「避難小屋って、本当に在るの?」と、相棒が聞く。

「どっか、その辺さ」

 

 さらに、木道を歩くと、広々として視界が開け、草原が遥か彼方まで見通せた。

 

「避難小屋って、何処?」と、相棒が聞く。

「うるせー、俺が知るわけねーだろ!」

 

と思った時、彼方の山の斜面に避難小屋が、小さく、遠く見えた。

10分ぐらいで小屋に着いたが、午後4時を過ぎていた。

 

 小屋の脇には、小川も流れていた。二階建のかなり大きな立派な建物だ。濡れた荷物を

小屋の前に干して、頑丈な扉を開けると、二重扉がさらに在り、その奥が居間だった。

 

避難小屋には、先客がいた。

 

 

              ★肘折登山道.........(避難小屋の一夜)

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 先客は、単独行の登山者だった。

昨日、肘折温泉から肘折登山道を登って避難小屋に泊まり、今日は念仏ヶ原を経て月山へ

往復してきたと言っていた。明日、肘折温泉に降りると言う。肘折登山道は、月山で屈指

の難路だ。

 

「橋が落ちた事が、肘折登山道の両端に書いて有りましたよ」

 

 月山頂上と肘折温泉の入口に警告の看板が設置されていた。つまり、肘折登山道は閉鎖

されていた。どうりで、私達以外には、登山者が居ないわけだ。

 

 小屋の中には、生活必需品が揃っていた。足りない物を、指摘する方が難しい。鍋・釜

・ヤカン・柄杓・食器、布団・毛布・枕、ガスボンベ・蚊取り線香・ろうそく・ETC

食料・調味料さえ少しなら有った。何だか少し、楽しくなってきたね。

 

 疲れていたので、夕食に何を食べたのか憶えていない。(ろくな物を食っていないから)

夕食後、湿っぽい布団の中だが、何時もの半シュラフによる野営に比べれば、天国の様な

状態で、午後6時前に寝ていた。

 

 珍しく、一度も途中で目覚める事無く、翌日の朝4時に起きていた。朝食後、小屋の掃

除をした後、今日は一日中、登山道の行程なので、登山靴を履いて月山に向け出発した。

 

 天気は、曇っていた。

 

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                            第二部 山 道

 

 

           ★西普陀落「にしふだらく」..(川を渉って)

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 2000年 8月13日午前5時、肘折登山道・念仏ヶ原の木道。

 

曇っていたので景色も見ずに、立谷沢川へ向けて走る様に下降していた。念仏ヶ原のはず

れで、道標を見つけて急停車! 前下がりの最後の木道の上で、思いっきり尻餅をついた。

 

 「う〜...」朝一番の目覚めの苦行、偉大な一日の始まりだった。

 

 鎖付きの急な尾根の下降で、昨日、遡行した立谷沢川に5時30分に戻った。

此処から先の、立谷沢川は急速に高度を上げ、月山に突き上げて行く。その先には、修行

の行場として有名であり、峻険な西普陀落「にしふだらく」がある。

 

 橋が使えないため、裸足になり、川を渉る。対岸にて、靴を履く前につまずいた。左足

の薬指の爪を傷める。出血していた指に、バンドエイドを取りあえず貼った。登山靴を履

きなおして、月山への登山を再開。頂上まで、1000m以上の高度差で3時間の行程だ。

 

 正面への登りでは、左足の状態は問題なかった。ガレ沢の巻き道、登り下りにトラバー

スと足が色々な方向に力をかけると、強烈な痛みが襲ってきた。「難行苦行」の始まりだ。

 幸いにも、登山道は単純にして強烈な登りのみの道になった。ブナの森の中、登山道は

急速に高度を上げていった。すでに、さっきまでいた対岸の念仏ヶ原を見下ろしていた。

 

 さらに登ると、渓谷を分ける尾根の上に着いた。

 

 

              ★月山への登り........(草原での休憩)

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 尾根の上からは、昨日、遡行した立谷沢川が見えた。さらに、足元の遥か下には月山沢

が、白くくねった線に見えた。月山の上部はまだ、雲につつまれていた。

登山道の傾斜は少し落ちたが、再び急に成ると容赦なく突き上げて行った。やがて、気力

・体力の限界が近づいたとき、さすがの道も傾斜を緩めると、森林帯を抜けて上部の潅木

帯に達していた。

木道が有る湿原に入ると、風がさわやかに吹き抜けていたので、木道の上で休んでいると、

 

「何か変だよ」

「水芭蕉が食べられているよ」

「木道もかじられているよ、クマかな」と、相棒が言った。

「そうかい」

 

にぶいやつめ、湿原に入る前から気が付いていた。かじられた木片は新しく、ついさっき

までの気配を残していた。

 

「さあ、行くぞ」

「え?、もう行くの。さっき着いたばかりでしょう」と、相棒が言った。

「こんな、詰まらねー処で休んでいても、しょうがねーだろう」

「さあ、行くぞ!」

 

 さらに、潅木帯を過ぎ、笹薮を登ると上部の草原地帯に到達していた。 休みたいのを

我慢していると、湿地帯の中に豪華な休憩所が現れた。 岩のテーブル・草の絨毯に日光

キスゲの群落、展望も開けて、念仏ヶ原の眺めと、月山の草原地帯が広がっていた。

 食事の後に、美しい庭園地帯を登り出した。時計の高度計によると、頂上まで200m

を切っていた。今日、始めて登山者に会ったが、肘折温泉へ肘折登山道を下ると言う。

橋が落ちているのは知っていた。

 

 すこし、登ると沢に出会った。綺麗な水が溢れ出て、庭園の中の流れになっていた。

当然、味は最高だったし、おまけに、「月山 300m」の標識があった。高度計も頂上

直下を示していた。

 

 終わった!  「でも何で、頂上直下に、こんなおいしい水が沢山有るんだ?」

登り始めるが、なか々着かない。

 

「頂上はまだ?」と、相棒が言った。

「まだだよ」

 

高度計は、頂上の高度を越していた。さらに岩場が出てきて、急峻になった。

 

「300mはとっくに来たよ、頂上はまだ?」と、相棒が言った。

「すぎたよ」

 

高度計は、頂上より150m上の高度を示していた。二人は不機嫌に、急峻な岩場をさら

に登った。

 何時の間にか、周りは霧に囲まれ、近場しか見えなくなっていた。道にはテープが張ら

れていて、その通りに進むとT字路に出合ったが、その先に人が現れた。

午前9時前、いきなり人々に囲まれていた。

 

 月山頂上小屋に着いていた。

 

 

              ★月山山頂..........(人ごみの中の山頂)

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 月山頂上小屋には、人が溢れていた。修験者の白装束・ヤッケの登山者・雨具のハイカ

ー・ビニールのレインコートの都会人・その他識別不能の人種達。

 

 ジャージ姿の沢登りは、コソコソと下山にかかった。お金を払わないと、神社の有る頂

上部に入れなかった。野生化した頭には理解出来ない事だったので、頂上をパスして下山

する。

 頂上付近は、風が尾根を乗っ越すため、強風が吹き荒れていた。透明なレインコートを

着た小学生は、ヨロヨロしながら登っていた。複線になった一般登山道を、登山者を避け

ながら駆け下りる。オモワシ山が見えてきた。その下には、仏生池小屋が在るはずだ。

 

 相棒が来ない。しばらく待っても追いついてこないので、登り返そうかと思ったとき、

足を引きずりながらトボトボと降りてきた。

 

「どうしたい?」と言うと。

「登りの人を避けようとして、捻ってしまったみたい」と言った。

「...」

 

実は、私も朝の傷が下りになって痛み出していた。なにやら、雲行きが怪しく成って来た。

取りあえず、対応出来ない事は全部無視して下るが、ジョークも底をついていた。

 私たちの雲行きとは逆に、天候は回復の兆しを見せていた。低気圧と高気圧の間で、

強風が吹いていた。高度計が狂ったのも、その性かもしれない。

 

 午前10時に仏生池小屋に着いた。

 

 

              ★下山路...........(庭園への下降)

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 仏生池小屋からは、50分で弥陀ヶ原に下れる、普通なら。でも、時間も余裕が有るの

でゆっくり下る。道も緩くなり、足への負担も軽くなった。 万年雪の雪渓を過ぎると、

晴れ間が出てきた。

 いきなり、雲が晴れて下界が現れた。庄内平野と鳥海山と日本海の鳥瞰図が見える。

日本て、こんなに綺麗だったけ? 空からみる庄内平野は、淡い緑の海に浮かぶ島の様に、

森に囲まれた部落が点在していた。

 

 やがて、なだらかな草原の先に弥陀ヶ原が見えてきた。点在する湖沼が天界の庭園を思

わせていた。もう文明の地も近い。街の人々も出て来て、パンプスで頂上を目指すオバサ

ン、それに従うサンダルのオジサン。(女房の暴走を止めるのは、亭主の勤めだろ!)

 若者二人が我々を追い抜いて行った。屈辱の一瞬だったが、素晴らしい景色を見るふり

をしてやり過ごした。実際、絶景のポイントだった。見とれていると、綺麗な若い女の子

が隣に来て、良く通る声で、100m以上先の若者二人に呼びかけた。

 

「待って〜!」 若者二人は、ピタリと止まった。

「戻って〜!」 若者二人は、チョット顔を見合わせていたが、登りなおして来た。

 

すれ違うときに、「ニヤリ」と、笑ってやった。

 

 文明の地、弥陀ヶ原にたどり着いた。

 

 

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                         第三部 聖 地

 

 

           ★弥陀ヶ原から剣ヶ峰へ....(修験者の道)

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 弥陀ヶ原小屋には、巡礼者用の用具を売る店の他にレストランもあり、飲物の自動販売

機もあった。私はコーラを、相棒はポカリスエットを飲んだ。魔法の飲物で、文明人に戻

ってしまった二人は、テンションも落ち、傲慢に成り、注意力も散漫に成っていた。

 

 弥陀ヶ原小屋から、すぐ下の八合目駐車場に下る途中に分岐点が在り。そこから、ハイ

キングコースで御浜池に下り、健脚者向けだが一時間ちょっとでニゴリ沢林道に降りられ

る、はずだ。車まで3〜4時間?、まだ午前11時だった。

 コースも最終段階に入ったが、相棒の足の具合も何とか持ちそうで、このまま、計画通

りに実行する事にした。八合目駐車場からの自動車道路は、羽黒山へ通じているが、出発

点に戻れない。 (彼だけ、八合目駐車場に残して一人で車を回収する事も考えた。しかし、

その時はまったく違う【事態】が発生していたと思う。)

 

 様子が変だ。御浜池に下りるハイキングコースがない!。空身で、駐車場に下る途中の

分岐点を探したが分からない。弥陀ヶ原小屋の店のオヤジに聞くと、親切に教えてくれた。

 

「弥陀ヶ原の遊歩道の途中で、湿原の中に踏み跡があり、そこから剣ヶ峰へ下るよく踏ま

れた道があり、御浜池に至る」と言う。

 

 「湿原の中の踏み跡」、「よく踏まれた道」、ハイキングコースじゃない修験者の道だ。

でも、たいした事はないだろう。たかが「修験者の道」だ。

しかし、御浜池に下りる道を聞いたのであり、林道に下りる道を聞いたのではなかった。

 

 弥陀ヶ原の遊歩道に入る。木道で、湿原の中に点在する湖沼を巡るコースだ。家族連れ

がコースの中の彼方此方で、写真を撮っている。風が強く、よちよち歩きの幼児は木道か

ら湿原に吹き飛ばされそうになっていた。湿原のはずれに踏み跡があった。

 「立ち入り禁止」の看板の脇に、湿原の中に分け入る踏み跡が続いていた。確信が持て

なかったので、一人で様子を見にいった。300mほど入り込むと、「よく踏まれた道」

に出会ったので、木道に戻り二人で出発した。狭いが確かに「よく踏まれた道」だ。

藪を切り開いた道をたどり、剣ヶ峰へ出たのは、まだ、昼前だった。 

 

 剣ヶ峰の、急激に下るやせた尾根の麓、緑の平地に、青い水色の御浜池が見えた。藪の

中から、剣ヶ峰に出ると強風が吹き抜けていた。地面がゆれている様な感じだが、道はす

ぐに風下に回りこんだが、鉄の梯子があった。その先には、連続してロープがセットされ

ていた。

 剣ヶ峰は、下りではなく下降になった。 巡礼者用の道は、一般登山道と違い、安全性

は最低限の物しか設置されていない。しかも、登るのは体力的にもキツイかもしれない。

たかが「修験者の道」ではなく、さすが「修験者の道」だった。道はやがて森の中に入り、

傾斜は緩くなったが、残雪・岩場・藪と道は色々な変化を見せて下っていた。

途中では、真夏の山なのに、残雪の雪解け直後の山菜や水芭蕉が、水辺に姿を見せていた。

変化は有るけど、長い!。下り初めて一時間、平地に出たが、池は見えない。

 

 岩場に出た。剣ヶ峰から見えていたが、不思議な岩場だった。五階立てのビルぐらいの

岩が、子供がブロックを撒き散らかした様に積み重なっていた。その下で、相棒がバテた。

 

「もうだめ!、はらへった〜」

 

 御浜池で、昼食の予定だったので休憩するつもりがなかったが、お昼は遥かに過ぎてい

た。昼食を取りながら、地図を調べた。道が二つに別れていた。左手は上方の岩場に向か

い、右手は森の中に下っていた。まあ、右だなと下り始めた。約20分間、暗い森の中を

歩き、不安に成った時、

 

 御浜池に着いた。

 

 

 

              ★御浜池...........(苦行の開始)

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 御浜池は、予想通りの眺望だった。人工物が一切存在しない、深いブナの森に囲まれて

幽玄にたたずんでいた。期待通りの、雰囲気と眺めに満足し、池の水は、冷たく澄んでい

たので、顔を洗いサッパリした。さすがに飲む気はしなかったが、魚を見つけた時は驚い

た。種類はハッキリしないが、誰かに放流されたマス族が想像された。

 

 しばしの、休息で元気を回復しあと少しで終わりだと、最終段階の、ニゴリ沢林道への

下降を開始した。午後1時を過ぎていたが、一時間で降りきれるはずだった。

 

              道が消えていた!

 

 読者の期待通り、スンナリ終わる旅ではなかった。池の周りを探索した。 来た道も、

戻って確認したし、地図で道が在る方向へのブッシュ帯を探索したが、道は発見出来なか

った。 堅実な道は、退却だ。来た道を確実に八合目駐車場に戻れる。しかし、その後の

展望がない、車までどうやって戻るか、キツイ登りの道程も気に入らなかった。

 もう少しで、終わるはずだったとの思いが冷静な判断を奪い、怒りが湧き上がって来た。

道がなくても、林道まで高度差300m・直線距離1000m? ザイルもあり、大抵の

障害は超えられるはずだし、地図でも問題は無さそうだった。

 

 道が在る方向へ、ブッシュ帯に突入する。

 

 突入して、10分後に後悔していた。

 

 

 

              ★東普陀落「ひがしふだらく」.(聖地にて)

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 ブッシュ帯は、想像を超えていた。そこは、緑の牢獄だった。

 

 最初は、涸れ谷が薮の中に誘い込むように入っていた。すぐに、谷は消えて、薮を突き

抜けると岩石帯だった。周りは、ブッシュで覆われ、通過を許されるのは、水で侵食され

た岩場だけだった。岩は塔の様に尖り、裂け目は深く暗かった。ブッシュを避けた二人は、

岩の塔の頭をつたい、奥へ、奥へと入っていった。

 岩場が終わると、行く手の尾根は、薮で閉ざされていた。何時かは、越さなければなら

ないブッシュ帯だった。道が在る方向へ、ブッシュ帯に突入する。

 

 薮の中で、両手は枝を掴み、足はしっかりした場所を求めて、もがく。体は枝を押し分

け、小枝が顔を打つ。ツルは、服とザックに絡み付き、その場に張り付け様とする。倒木

をまたぎ、あるいは潜る。全身の筋肉が、あらゆる方向にフル回転する。痛めつけられた、

左足の薬指が抗議をし、空気を求める喉には、木の皮のホコリが舞う。

 

 といった具合で、10分経つと、ヘロヘロです。道は在りませんでした。

 

 希望を持って、尾根を越した先は、谷に面して薮は勢いを増し、さらに過酷になった。

そして、10分程経つと右手の森が切れていて、急角度で谷に落ち込む薮に覆われたガケ

が現れた。この谷が、地図に記されている「失われた道」が在る谷に違いない!

この、谷の先には、必ず、ニゴリ沢林道が有るはずだ。

いざ、谷へのダイビングとガケの縁により、枝を掴み、身を乗り出して下を見ていると、

 

「道はどうしたの?」と、相棒が言った。

 

この、盛り上がっている時に、何て事を言うんだ!

一気に、テンションが下がる。

 

「道なんか、どうだって良いんだよ! 下の林道に出れば」

「いくぞ!」

「道が在るって、言ったじゃない?」

「もう少し、左に行けば在るかもしれないよ?」と、相棒が言った。

 

 確かに、このコースを決めたのは私だ。安全に正確に降りる責任がある。それに、谷で

の下降は最後の手段だ。まともに降りれる事は、少なく、大抵は滝や峡谷で行き詰まる。

 左の方向に、又、薮こぎを再開する。暗い森の中、シダの間に、道らしきものが有った。

半信半疑で、辿って行くとヤハリ、藪の中に消えるけもの道だった。再び、ブッシュ帯。

 

              そして力尽きた。

 

 緊急の問題は、水だった。「難行苦行」の一時間、体から水が搾り出されていた。元々、

少ししか持っていなかった水は、既に飲み尽くしていた。後、少しで終わるのに何故に重

い水を持ち歩かなければ、いけないのか? 弥陀ヶ原での、補給は考えもしなかった。

すでに、兆候が現れている。脱水症状になり、動けなくなったら「アウト」だ。

木にのぼり、枝の上から辺りを見回した。前後左右、当然の事に森に囲まれていた。

 

              左手は、 大きなブナの森が広がっていた。

              右手は、 落葉樹のブッシュ帯で閉ざされ、その先は例の谷だった。

              後方は、 通過してきたブッシュ帯だ。

              前方には、沢が有り、その先の、穏やかに下る渓谷に続いていた。

 

 水を求め、沢に向かって降る。またまた、藪の中での苦闘のあとで沢に降り立った。

水を補給して、当面の危機が去った二人は、また、最初の問題に戻った。

二人の、後方には通過してきた、過酷な地域と、苦闘の跡が残されていて、引き返す事は

不可能だった。緑の牢獄の出口は、前方の谷間だけだった。

 

「もう少し、左に行けば道が在るかもしれないよ?」と、相棒が言った。

「ハイハイ、分かりました、行ってきます」

 

 谷間に一人、相棒を残し、空身で左側の急な尾根に枝を掴んでよじ登っていった。尾根

の上は、巨大なブナの原始林だった。その先の森にも、道は影も形もなかった。

鬱蒼として、静まり返った、太古からの森だった。

今から思うと、そこが「東普陀落」だった。 御浜池から、左に、左にと引き寄せられた

二人は、何時の間にか、緑の聖地に迷い込んでいた。

 あとに、残した相棒とは、かなり離れてしまった。これ以上の侵入が、ためらわれた。

山にも、森にも慣れていた。原生林に分け入り、遊び、そして、夜になると寝ていた。

しかし、その時、一人で居るのが絶えられなくなった。

 

 友の居る、谷間に戻った。

 

「道は無かったよ、谷を降りよう」と、言うと、

「また、やっちゃったね」と、相棒が言った。

 

またとは、以前の白神山地での事だ。(詳しくは「白神の迷走」を読んで下さい。)

これには、切れた! まだ、「何もやっていない」。

 

 ここまで、彼は、足の痛みにも「難行苦行」にも耐え、冷静に道を探すことを提案して

きた。私達が、先の見通しがないあの急な谷へ下降しなかったのも、彼のおかげだ。

しかし、前途に確信が持てない今、さすがに行く末に悲観的になっていた。

 

「でも、テントも水も有るし、非常食も有るから、一晩泊まっても平気だよ」

 

アンタは、それでも良いだろう。しかし、今、私は「非常なピンチ」に立たされていた。

もう、午後の3時に成っていた。私が破滅するタイムリミットまで、数時間しかなかった。

 

 明日は、お墓参りだ!

 

 朝7時に起きて、八王子に向かい、親せき一同が集まり、親父とお袋のお墓参りをする

予定だった。その時・その場所に、私が居なかった時の騒ぎは、想像したくもなかった。

逆算すると、林道まであと4時間が私に残された時間だった。そして、それを過ぎると、

谷間にも、私にも暗闇が訪れるだろう。

 

 もう! 谷を降りるしかなかった。

 

 

              ★緑の谷...........(再び渓流へ)

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 渓流の装備を一式、ザックから引っ張り出した。

再び、使うとは予想しなかった装具類を身に付ける。靴下を脱いで、ウエッダーソックス

を履いた時、肥大化した左足の薬指が、締め付けられた。渓流用のクライミングシューズ

を履くと、さらに、締めつけられて感覚が失われて行った。

 

 何時でも使えるように、ザックからザイルを取り出して手に持った。信じられない事に、

多くの登山家が、ザックにザイルを入れたまま、下降中に墜落している。面倒くさがって、

ザックから、ザイルを取り出す事をためらったからだ。

 

 長時間の「難行苦行」、「非常なピンチ」と谷への下降の準備が、忘れていた事を思い

出させる。

 

 登攀道具のカラビナを、ザックのベルトにセットした時、「カチ」と懐かしい音がした。

かって、冬山の岩壁の前で、スタートラインに立った時。行く手を見上げ、恐怖を願望に、

絶望を希望に変える時の、何時ものクセに成っていた仕草と音が、長い間閉じ込められ、

忘れ去られていた「狂気」を呼び覚ました。

 

 その瞬間、「普通のオジサン」は「狂気のクライマー」に変わっていた。

 「狂気のクライマー」は困難を求め、行く手の障害に恋焦がれていた。

 

 今居る所は、苦労した割には前進していなかった。高度計は、約50mの下降しか記録

していなかった。残り、高度250m、距離「?」

 まだ、源流の様相の、暗い谷のガラガラの岩場を、ザイルを手に、決意と異様な高揚感

を秘めて降り始めた。片隅に追いやられた、「普通のオジサン」は

 

「お〜い、ここは、真夏の月山だぜ」と、言ったが、誰も聞いていなかった。

 

 しばらく行くと、谷は明るくなった。

地表は、緑のシダとコケに覆われ、周りを、かえでや水ならの広葉樹に囲まれた谷は、

鮮烈な色の渓谷に変わった。苔むした、岩の間から流れ出る極上の天然水で、元気を回復

した二人は、緑の谷を、足の痛みも忘れて降って行った。あっという間に、高度100m

を降っていた。

 

 降るにつれて、小沢が左右から合流する、水は勢いを増して、トウトウと流れだした。

小さな滝が現れ出したが、まったく問題にせず降りた。

 このまま、順調に行くはずが無い。絶対、何か「おもしろい物」が有るはずだ。

さらに、高度50mを降り、残りは100mを切った。そして、谷が右に曲がった処に

 

              そこに、ヤハリ現れた!

 

 見た瞬間、ガッカリした。たった、5mの滝だった。しかも、右側から楽に降りられそ

うだった。最初の障害にしては、物足りない。ザイルは邪魔なだけなので、相棒に渡した。

 右側に回りこみ、斜面に向かい降りようとした。

絶好の枝が、目の前に有ったので、チョット、左手で掴んでみた。

 

 その時、その枝が、私に向かって動き出した。そして、枝の後には「大木」が続いて!

驚きの余り、バランスをくずして落下する私に、頭上から、「大木」が襲いかかって来た。

谷の窪地に落ちた、私の頭上を、「大木」が飛び越していった。

その時、後頭部に衝撃を感じた。「大木」に、さらに巨大な根っこが続いていたのだ。

あっと言う間の出来事で、谷間は直ぐに静かになった。

谷間には、元々、そこに有った様に、直径20cm、長さ数mの「大木」が横たわっていた。

私も、横たわっていた。

 

「大丈夫?」

 

崖の上から、相棒が余りにも当たり前の質問をしてきた。

相棒が見た状況は衝撃的で、私が無事とはとても思えなかった。

 

何が大丈夫か?

何が起こったのか?

何も理解できない。

ただ、先ほどからとり憑いていた、高揚感は、ウソの様に消えていた。

 

 「普通のオジサン」に戻っていた。

 

 身体の、各部をチェックしたが異常は無かった。でも、巨大な根っこに殴られた後頭部

は、何故、あんなに軽い衝撃だったのか?

取りあえず、下降を再開する。この先何が現れ、何が起こるのか、それとも何も無いのか。

 

 しかし、遂に10m以上の滝が現れた。降りるルートは、かなり手強い!

陽光の中から、暗い滝壷への、ザイルによる懸垂下降。さらに、その下に見える滝。

「狂気のクライマー」なら、喜んで、飛び込んで行っただろう。

 

 しかし、「普通のオジサン」に戻っていた私は、おどおどと辺りを見回すと、右の尾根

に「出口」とばかりに門の様な切れ目が有った。これなら「普通のオジサン」でも降りら

れる。門を通り、尾根の斜面を木にぶら下がりながら下降する。

 そして、その先で谷に戻った処に、流れに沿って、長く横たわる物が在った。倒木? 

ちがう! コンクリートの堰堤だった。

 

 久しぶりの、人工物だった。堰堤の近くには、必ず、メンテナンス用の道が有るはずだ。

右側を探すと、草に覆われた、踏み跡が有った。

暗い森の中を辿って行くと、薄くなった藪の先に、白く輝く、川の様な物が見えた。

 

 そして、藪を抜けた先は、林道だった。

 

 

              ★ニゴリ沢から立谷沢川へ...(林道での別れ)

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 午後五時前、タイムリミットまで、2時間を余していた。

緑の牢獄からの脱出で、全ての障害は消えた。 相棒と、ロータッチで生還を喜び合った。

林道に座り込み、渓流用シューズを脱いだ。薬指は、真っ赤なウインナーに成っていた。

見ていない事にして、靴下で隠し、登山靴に履き替える。真っ赤なウインナーは消えた。

 

 午後5時、林道を下り始める。しかし、すぐに相棒が足の痛みを訴えた。荷物を担いで

行く理由はなかった。荷物を一旦デポして、後で、車で取りに戻ってくればよいことだっ

た。しかし、山でザックを置く事は、無防備に成る事だ。だけど、林道で何が起こるの?

空身で、車の鍵と水のペットボトルだけ持って下りだした。林道は、山腹を忠実になぞり

ながら、緩やかに下っていた。遥か、4Km先に立谷沢川の渓谷をめぐる尾根が見えた。

その先、さらに5Km、合計9Km先に車は有った。

 

 天候は回復し、夕焼けが始まりだした。大気は昼の熱気を残し、少し湿気を帯びていた。

風は弱まり、沢を渡る風は、ダラダラと下る林道の、場所によっては届かなかった。

 

 そして、ヤツラが襲ってきた。

 

 最初は、数匹のハエがまとわり憑いている様に見えた。 しかし、ハエにしてはやけに

シツコイ。やがて、相棒の周りを飛ぶ数が増えて来た。虻「アブ」だ。

しかし、ヤツラは体の周りをブンブンと飛び回っているだけに見えた。相棒が遅れだした。

一本道だし、先に行って、車で戻って来た方が時間の節約になる。相棒と別れ、ピッチを

上げて歩き出した。

 

 相棒と別れた途端に、ヤツラがまとわり憑きだした。気にもしないで歩く。たまに、走

ると振り切れるのか数が減るが、歩くとまた増えた。立谷沢川林道に入ると、木立に囲ま

れ風を感じなくなった。ふと、左手の甲を見ると黒いシミが有る。右手で拭くと、キレイ

に消えた。「鼻血?」拭いた後に、またシミが浮き出てきた。「アブ」に噛まれた痕だっ

た。

 

 「吸血鬼系の連中は、獲物に麻酔をかけ、さらに血が固まらないようにして、気付かれ

 ない内に頂くと言う。 虻は、噛み跡から流れる血を吸う。」

 

 右手首にも、噛み付いていた。さらに、首にも感じる。一瞬、パニックになった。

走った! 振り切ろうとして、暗く成り出した、林道を走る。しかし、疲れと足の痛みで

長くは走れない。歩くとすぐに、ヤツラに囲まれる。また、走るが、苦しい!

 前方に橋が見えてきた。立谷沢川に架かる橋、休戦地帯だった。50mはある橋の上で、

風に吹かれながら一休みした。

 

 橋の上では、ヤツラはまとわり憑けない。ヤツラは川が嫌いだ。川を渡る風が苦手らし

い。橋の手前の川原で、釣り人がキャンプをしていた。焚き火をしながら、数人がビール

を飲んでいた。立派なランドクルザーも有った。だめ元で、相棒の事情を話して、上の車

まで送って欲しいと頼んだ。しかし、もう飲んでいるのでと断られた。もっともな理由だ。

ザックも背負わず、薄暗い林道を、一人でうろつく、怪しげな人物。

 

 元々、期待していなかったので、橋の上に戻った。車まで、あと3Kmは無い。しかし、

前方の林道には、暗い森と長い登りが続き、ヤツラがいる。林道に近づくと、すぐに数匹

が寄ってきた。相棒の事もあり、いつまでもグズグズできない。  走り出そうとした時、

対岸から、呼びかける声がした。

 

 ランドクルザーが動き出していた。

 

 

              ★再会............(修行の続き)

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 釣り人二人と、ランドクルザーで、上柳沢の出会いに向かった。森を越え、川を渡り、

次の堰堤まで来たとき、運転していた釣り人が驚いた。彼らは、今日一日、下の堰堤とこ

の堰堤の間の、魚のいない不毛な地域を釣っていて、上流に堰堤が有るのを知らなかった。

釣り人と、今回の山行の事を話していたら、

 

「いつも、こんな山行をしているの?」と、言われて

「う.」言葉が詰まってしまった。

 

 目的地には、7時前に着いた。

 

「これで、ビールでも飲んでください」と、渡そうとしたお金も取らずに。

「もう、若くないんだから、むちゃするんじゃないよ!」と言って、彼らは帰って行った。

 

本当の歳を言ったら、何を言われるか判らないので「ハイ!」と言って別れた。

 

 着替えもせず、靴だけ脱いでサンダルで車を運転して下山した。すでに日は落ちていた。

暮れゆく森の中、相棒の姿がヘッドライトに浮かび上がった。

 

 二人で、再開を祝したが、まだ安心する事が出来なかった。

 

  ・車で引き返しても、長かったニゴリ沢林道

  ・荷物の回収

  ・そして長い、林道の下り

  ・羽黒山経由での、町への帰還

  ・「山の神」への、電話での報告

 

 全てが済み、下の町の、温泉センターに着いたのは、午後の8時半を過ぎていた。

風呂に入るとき、足の指をじっくり見た。どう見ても、ムラサキのソーセージだった。

 

 長い、日本海沿いのドライブと関越自動車道を経て、相棒の家には翌日の朝4時に到着、

さらに、自宅に帰り着き、寝たのは、丁度あれから24時間後、朝の5時だった...

 

 朝7時に、起こされた。

 

 「今日は、お墓参りだ!」

 

 八王子に、家族と車で向かった。お墓参りが済むと、親戚一同でバーベキューに行った。

どうせ、「何処かの川原だろ」と思ったら、車は秋川渓谷をさかのぼり、立谷沢川林道よ

りすごい道を、奥へ奥へと入って行く。

マタマタ、自然の真っ只中、渓流の辺でバーベキューが始まった。ビールに焼肉、ETC。

翌日、お盆休みのカミサンの実家で、又バーベキューが始まった。ビールに焼肉、ETC。

 

              月山で失われた脂肪が、蘇っていく。

 

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              [終わりに]

 

 いまでも、時々考えるのは...「あの木」は、

 

どれほどの間、待っていたのか?

誰に引かれるのを、待っていたのか?

何のために、待ち続けたのか?

 

 あの時、緑の聖地に迷い込んだ二人は、外界に、そっと送り出されたのかもしれない。

 

【荷物を取りに戻ったとき車の中に、二匹のアブが迷い込んだ。

 修行の出来ていない私は、怒りで、一匹はタオルでフロントガラスに叩き潰した。

 チョット、後悔した私は、残りの、一匹は窓を開けて逃がしていた。】

 

 その後、相棒は疲労と、アブに何ヶ所も噛まれた後遺症で発熱し、2日間、床に伏した。

私は、数日後には、足の指も抗生物質で落ち着き、体重も落ち着いて、体は前に戻った。

 

            しかし、多分、何かが変わったのだろう、「月山」で...

 

 

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【月山は、古くから修験道の山として行者達と信仰者が、数々の「難行苦行」を行った

 行場の山である。修験者が、神の住む山として崇拝した聖地がニゴリ沢の奥にある。

 この地は「東普陀落」と言って、神が天界から下山する聖地である。.......】

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 上記の文は、今は無き、天才「安部武」氏の記述です。

氏は、東北の放浪の釣師と言われ、その、足跡を東北全土の渓流に残しています。

晩年は、月山の麓の田麦に、庵をかまえていました。

 

2000年10月21日  K.T