暗門の滝から赤石川へ       2004年9月

           17年目の企て

           分水嶺を越えて

           水の流れのままに

           川を下って、森の中へ

 

           ヒッチハイカー

           雨の夜の訪問者

           雨と風に流されて

           夜の冒険者達

           夢の前沢牛

 

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           【 17年目の企て 】

 

 また、秋になった。 今年は、春から夏に掛けて、山師二人はまったく動かなかった。

ところが、記録的に暑かった今年の夏に、釣師の二人が珍しく山に入った。それも、結構

キツイ奥秩父の山奥に、岩魚を求めて、何時間も林道と山道をさ迷ったらしい。

 暑中見舞いを兼ねた、メールには、山の中の誇らしげな二人の写真も添付されていた。

珍しくも、釣果のまったくなかった旅に結構満足していたし、体力には、結構自信が付い

たと。そして、

 

「秋の、白神はどのコースにする?、赤石川から追良瀬川へ抜けるのは?」と・・・

 

 長年の間、白神山地には、色々なコースを計画・検討し、アプローチしていたが、一度

も企画されないコースが有った。もっとも、クラシックで有名な、暗門の滝から赤石川へ

入るコースだ。その位置と歴史だけでなく、沢とブナの森、そして尾根越えのマタギ道を

辿り、キツイが、深く静かな魅力的なコースに思えた。交通機関を使用した入山には、

理想的で白神山地深く、赤石川の二股の上流に降り立ち、其処からは、白神山地の何処へ

でも向かえた。

 しかし、車使用時の下山は?、そこがこのコースの最大の問題。長いコースを逆に辿れ

ば車に戻れるが、それだけでこのコースの魅力が半減する。一番楽なのは、赤石川の下流

に向かい、赤石ダムから2時間の林道歩きで、赤石大橋に降りれる。しかし其処は、白神

山地を縦断する弘西林道のど真中、車まで15キロ、歩行4時間以上、これが問題。

 

 「ヒッチハイクでもするか?」この思いつきだけで、計画がたてられた。

 

津軽半島横断ツアー(のんびり、3泊1夜行5日の旅)

 

弘前

  アクアグリーンビレッジANMON(駐車場)

  暗門川 暗門の滝 フガケ沢 分水嶺 ヤナダキ沢()

  赤石川のヤナダキ沢出合 赤石川二俣()

  赤石ダム 奥赤石川林道 弘西林道(最近は白神ラインと云うらしい)

  赤石大橋(ヒッチハイク) アクアグリーンビレッジANMON(駐車場)

  赤石大橋 岩崎・日本海()

盛岡

 

最少催行人員4人、雨天決行、車1600キロ24時間、歩行24キロ16時間、

残りの時間は、温泉と食べまくりに、余った時間で睡眠。

 

 今回のメンバーは、釣師二人(小川・井野)に山師二人(竹内・武内)で、前年参加した

シティボーイの板室は、新しい繁殖地を求めてニュージーランドに旅立った。

現在のチームは、体力・技術・経験ともほぼ理想的な構成で、負荷の分担もバランス良く、

メンバー間の人間関係も上手くいっていた。

 

 

              【 分水嶺を越えて 】

 

9月16日()

 

 インターネットで天気情報や、野球の結果を見ながら迎えの車を待っていた。

天気は、秋雨前線と低気圧に囲まれ、津軽地方は良くて曇り、普通で雨の、湿度90%の

予想なので淡い期待を抱かずにビニール袋を大量に準備する。いつもと同じ装備の他に、

ヒッチハイク用の特別装備を入れる。

 小川君が今回も、会社のトヨタ・エスティマを徴収して川越駅で武内を拾い、上尾へ

井野君を迎いに行き、私の家に着いたのが午後11時前で、やっと、メンバー全員が揃い、

その日の内に東北自動車道に乗っていた。

 

 

9月17日()

 

 果てし無く続く深夜のドライブで、福島・仙台・盛岡・弘前とひたすら北を目指した。

明け方、いつものようにアップルロードで弘前市をバイパスして、西目屋を経由して弘西

林道(白神ライン)に入り、朝6時過ぎにアクアグリーンビレッジANMONの駐車場に到着した。

 いつもは、この先に続く弘西林道をさらに奥深く入って行くが、今回は此処に車を置い

ていく。天候は予想通り曇りなので、食料・ガス・テント・登攀道具等の準備をして出発

する。しばらくは、暗門川に沿った遊歩道で、暗門の滝を目指す。観光客向けの、自然の

岩を偽装したコンクリートで補強された遊歩道ながら、周りの森と川の流れのおかげで、

白神の雰囲気を漂わせていた。平日の早朝なので、観光客どころか人気が全くない。

 段々と険しく成りながらも、崖に刻まれた道や、滝の壁に付けられた石段、岩をくり抜

いた隋道のディズニーランド的な雰囲気の小一時間で、三つ在る滝の最後、暗門の滝(第

一の滝)の滝壷に到着した。突然、人工物の全く無い野生的な何時もの白神になっていた。

 水量の多い40M以上の見事な滝の飛沫のかかる滝壷の脇で、スニーカーから沢登り用

の靴に履き替える。最近は、年のせいか必ず何かミスをする。やはり、スパッツを忘れて

いた。8時半に出発、今日中に山を越せれば良い。

 

 微かな、踏み跡を頼りに、滝の左手の尾根を登る。此処からが、本当の白神山地の始ま

りだ。急な藪尾根から、木の根が出た崖を登って、滝の落ち口に続く尾根を乗っ越すと、

簡単に滝の上流に降りれた。其処からは、西股沢(フガケ沢)の平坦な流れが続き、楽に流

れを辿って行けた。緩やかな流れの中で、ソコソコの大きさと数の岩魚が泳いでいた。

贅沢な事に、ポイント毎の岩魚を蹴散らしながら、源流の雰囲気が盛り上がる中、軽快に

ピッチを上げて歩き続けた。今回は、流れの中の岩魚に、殺気立った視線を向けながらも、

釣師組がカメラマンに徹してくれて、デジカメで記録を取りまくってくれた。

 

 突然、雨が降り始めた。これからは、確実に、天気を悪化させるとの天の声がハッキリ

現れた降り方で脅しをかけて来た。しかし、こちらの意思もハッキリしていて、雨天決行。

木陰で、雨宿りして霧雨に成ったので出発する。皆は、雨具を着たが気温もそれほど下が

らず、雨具で蒸れるのも不愉快なので、一人だけ抵抗して雨に濡れて歩き続けた。

 沢が狭まり、小さな滝が続けて現れ出した。雨も小降りになり、沢登を楽しんでいると、

綱滝に着いた。6Mの滝だが、直登は面倒で右側の瓦礫の溝を登り、途中から滝の落ち口

へ草付きの崖をトラバースする。天気・ルートとも不安定でジメジメして、難しくはない

が危険な感じで、慎重に通過する。綱滝の上は、再び穏やかな流れが続いていた。

 滝の上で、しばらくルートを間違え時間と体力をロスするが、直ぐに正しいルートに

復帰する。この先で、何回かルートをミスするのは、先人の記録を読み、情報過多による

頭でっかちの勝手な思い込みと、注意点を過大評価した為だ。二股に着き、テントサイト

と白神世界遺産の立看板を発見した。

 

 此処までは、ルートも比較的わかりやすい。 今日の難所、いや、このルートの最大の

(いいかげんな所)は、この先の、フガケ沢の源流の郡界尾根(分水嶺)を越え、赤石川側

のヤナダキ沢の源流に出る処だ。この先ルートは、右のフガケ沢と、尾根を登るモックリ

のアゲ(マタギ道)の二つあるが、尾根道を選択する。

 尾根道は、沢を離れて急激に(モッコリ?)高度を上げ(アゲ?)ていく。先の台風18号

の風害による倒木で、ルートが寸断されている。少し不安になった頃、沢に降りる尾根で

古いナタメを発見した。しっかりした踏み跡で降り立った沢を、ヤナダキ沢と勘違いして

「流石にマタギ道、楽勝楽勝」と言ったら、小川君に「そんな甘くはない、まだ郡界尾根

も越していないよ」と窘められた。確かに、越えたと思ったのは時間的・高度的・地形的

にも甘すぎ、単なる願望に過ぎなかった。

 

 この付近は、4枚の地図が交差する複雑な境界と地形の地域で、会社で、ハサミとノリ

とコピー機を駆使し苦労して合成地図を作った。2万5千分の地形図で、わずか数センチ

(実長1KM)の距離ながら、現場で実際にさ迷うと実に広大な土地だ。

地図上で1CM(250M)の距離感が、林道と、沢の流れ、藪の中とではまるで違う。

不安で怖かったか? とんでもない! 幽玄ながら美しく、冒険的な面白い土地だった。

 11時頃に小休止して、現在位置をフガケ沢の源流と確認するが、櫛石山へ登る沢との

合流点より上流だと誤認してしまった。何れにせよ、山越えの真っ只中でオタオタしても

しょうがない、前に進むだけ(前はどっち?)。 しかし、釣師組は一夏の経験のせいか、

以外に健闘して、山師組(一夏の倦怠)と同じペースで元気に登っていた。

 

 フガケ沢を遡ると、右手の尾根が下降して近づいてくる。簡単に越えられそうなので、

沢から離れて乗っ越しに掛かるが、捲斜面に変わり中々越せない。これも、沢を最後まで

詰めると迷うと云う先入観から、早く郡界尾根を越したいと焦っていた為だった。

 時間と体力をロスして、また釣師組に嫌味を言われた。一般的に、釣師は谷を離れたが

らず、山師は、高い所に登りたがる。溝を下り、沢に戻ると直ぐに、櫛石山の方へ登る沢

との二股に着いた。左側の沢に入り、暫く行くと、右側の崖に踏み跡らしきものが見つか

った。しかし、マタギ道かケモノ道かの判断は難しかった。

 一時、止んでいた雨がまた降り出した。此処までは、頭脳で一敗、体力で二敗と間違い

ばかり。ハッキリ言うと、その時もルートに迷っていた。頭では決められず、勘に任せ、

沢を離れて踏み跡を辿った。今回は、山勘が当たったらしい。踏み跡は、斜面を捲き気味

に登り枝沢に突き当たると消えたが、枝沢を登り詰めると直ぐに尾根を越せた。

 

 

           【 水の流れのままに 】

 

 分水嶺を越したのは直ぐに解かった、風と空気、藪の生え方も変わっていた。しかし、

喜んだのもつかのまで、越した場所がまずかったのか、凄い藪だった。それも、白神では

何時ものことで、最後はやはり体力勝負になる。水の有りそうな窪地に向かって下降する。

しかし、今回は藪の他に台風の倒木が加わった。当然、倒れた木の多くは低い処に横たわ

り、窪地を根っこと枝で覆っていた。ルートは窪地伝いが多いので、藪と倒木にスパッツ

(脛当て)無しで突っ込む。

 一番似ているのは、サッカーの試合でシンガード(脛当て)無しで、やる気の無い審判と、

柄の悪いDFの守るゴールに突っ込むFWだ。藪と倒木を突き抜ける度に、傷付いた脛に、

コレデモカかと枝が突き当たる。ズボンの中の脛が、悲惨な状態なのは見なくても分かる。

 クマゲラの巣が有りそうな大きな枯れ木の広い平地で、流石に、泣きが入ってクジケた。

行く手の、見通しの悪い藪を観察して、逃げ道を探す。左に逃げると、運良く小さな流れ

に出た。さらに幸運な事に、尾根越えで見失ったマタギ道らしい踏み跡も見つかった。

 

 流れに沿って下ると、沢に辿り着いた。赤石川の支流、ヤナダキ沢に間違いない。

昼も過ぎて、腹も減っていたが、もう直ぐ赤石川に出れると思い頑張って下り続けると、

太くて見事な水菜が彼方此方に群生していたので、思わず夕食用に採集した。

 一本・二本と枝沢を集め、段々と大きな沢に成っていく。水量も増えて小さな滝も現れ、

水菜を片手に、のん気に降れるような沢ではなくなった。沢は、さらに水量が増え続け、

長いナメ滝も現れ、険しくも美しくなり最終段階を予感させた。突然、足元で流れが消え

て大滝の上に出た。落ち口の木に掴まって、下を見ると、凄い高度感で滝壷が見えた。

 アンチョコに拠ると十数M戻って、右側の赤石川に降る尾根にマタギ道があると。簡単

に見つかった踏み跡を辿り、急激に降る尾根の木の枝にしがみ付いて、一気に赤石川との

合流点に降りたった。少し沢を戻り、下から見上げた大滝は、上から見下ろした時の高さ

も迫力も無かったが、さすがに、白神一の気品と優雅さで段々に流れ落ちていた。

 

 午後1時半、ヤナダキ沢出合で、雨で増水した赤石川を渡渉した。何回も、登り下りし

て見慣れた景色の赤石川も、かなり増水して雰囲気が違って見えた。それでも、尾根越え

が終わったので皆、気が抜け、疲れきって、テントサイトの在る二股に向けてダラダラと

下って行った。意外と長く感じて、精魂尽き果てた時に、何時も泊まる場所に辿り着いた。

 最後に、ブナの林から抜ける藪で、木の根っこのトラップに足を取られて、空き地に転

がり込んだ。幸い、後続は遅れていて誰にも見られなかった。

 

 

 午後2時過ぎ、目的地の赤石川二股に到着、明け方からの長い山越えが無事に終わった。

釣師組が頑張ったので、予定より早く踏破出来た。遅い昼食後に、野営の準備をする。

 テントを張り、一度も使わなかったザイルは、ブナの木の間にワナの様に張り巡らされ、

物干しとタープの張綱に成下がった。朝から、降ったり止んだりを繰り返していた雨も止

み、少し、明るくなってきた。

 焚き火と夕食の準備も終わり、各人が暇をつぶし、毛鉤の釣人は、岩魚をイジメて遊ん

でいたが、車に餌(ミミズ)を忘れた釣人は、テントにコモってしまった。山師は、明るい

うちから焚き火を始め、飲み始めた。 先の台風の傷跡は、山の彼方此方に見られたが、

テントサイトの大きな淵の対岸には、片目の様に穴の開いた大岩が在った。今日はその穴

に、目を貫いた槍の様に木が突き刺さっていた。水面から1M上に、直径1M弱長さ5M

の大木を突き刺す激流を想像すると、今、飲んでいる場所やテントは?

 

 先行きの、天候が予測できないので、夕食を済ませてしまった。辺りが薄暗くなり、

焚き火どきになった6時頃、雨が降り出した。それまでの雨で、散々に湿っていたブナの

葉っぱからは雫がこぼれ出し、パラパラとテントサイトに降りそそいだ。

 何もする事がなくなったので、早々にテントに潜り込んで、湿ったテント・服・寝袋の

まま寝てしまった。 長い一日が終わった。

 

 

           【 川を下って、森の中へ 】

 

9月18日()

 

 明け方の、激しい雨で目を覚ました。ジメジメしたテントの中でウジウジしながらも、

朝5時には雨も止んだので起き出した。一人で、雨で消えてしまった焚き火を点け直して、

コーヒーを飲みながら夜明けを待つ。前線が通過したのか天気も良くなりそうだ。

 ブナの梢の間から見える雲空にも晴れ間が見え出した。川面に日が当たり出した朝8時

に赤石ダムに向かって、赤石川を下り始めた。取りあえず、ダム湖の流れ込みまで下り、

天気が良ければ、川原で野営のつもりだった。今日の行程は楽なはず。

 

 昨日からの雨で濡れたザックと全ての荷物は、水をタップリと含み肩にくい込んだ。

天気も少しずつ良くなり、水量の減った通い慣れたルートを、それでも水量・水位・水圧

とも平水より多いが、水に逆らわず流されながらノンビリ下って行った。

 この付近が、赤石川でも一番変化に富み、綺麗で気にいっている処だ。撮影用に、崖の

ルートが難しい処は、どうせ濡れているので水に入って通過するが、冷たい水に入る度に、

脛の傷がシミて痛んだ。

 一箇所だけ、例の骨折事故の峡谷は、激しい流れと、今にも切れそうな頼りない張縄を

見た瞬間に下降を断念した。ザイルを出しても良かったが、一度、捲き道を試したかった

ので、左の尾根を越して川原に降り立った。体力的にはキツイし、釣師組から冷たい目で

見られたが、悪条件の時に、全ての面倒事を避けられるルートだ。

 

 川幅が広がり、さらに緩やかになった流れを、枝沢の水汲みや水菜取を楽しみながら下

った。この付近は、沢登りより川原歩きの風情だが、開けた空と、太古の森、清冽な流れ

に沿い時々現れる色々な大木達に挨拶しながら歩いて行き、11時、ダム湖の流れ込みに

到着した。天気が回復して、日差しが心地よい。昼食の準備の間に、広い川原の彼方此方

に、4人のザックとその中身、全てを広げて乾かした。昼食の間に、全装備は強い風と日

差しで完全に乾いた。

 今夜は此処で泊まるつもりだった。広く心地よい砂地、そこらに無尽蔵に転がっている

流木で理想的なテントサイトだ。ただし、雨が降らなければ。そして、一番気懸かりなの

はこの先のルートで、ダム湖に水が無ければ、ダムサイトまで湖底を30分で下れるが、

水が張られていると、湖岸のマタギ道を一時間以上掛けて踏破しなければならない。

 食後一人で、様子を見に行くと、ダム湖は満水だった。泊まるべきか泊まらざるべきか、

皆で色々考えたが、一番気になったのは今晩の天候で、雨のときは、普通でミジメな野営、

最悪はこの場所に閉じ込められる恐れさえ有った。勘では雨だった。明日の行程を考え、

取りあえずダムサイトまで下りる事になった。

 

 左岸は、崖崩れで通過出来ないので右岸に渡り、再度、左岸に在るマタギ道に向かうが

その渡渉地点は、目の前に湖水が広がり、川と湖の交わる、美しくも恐ろしげな処だった。

水深は膝までだが、広がって底が砂地の流れを用心深く渡ると、岸の近くで深くは成った

が無事に渡りきった。

 マタギ道を見つけて湖岸を辿るが、踏み跡は、通る人も途絶えて荒れ果てて薄れていた。

何時もの処で藪を登り、小沢を渡り、ブナの森の台地に登り着く。森の中の巨木は、川の

巨木と違い派手ではないが威厳がある。この、巨木の森では踏み跡が消えて何時も迷うが、

方向を決めて突き進むと、湖面が見えて、最後の木の根を掴んで崖を横切るとダム瑚に流

れ込む滝の下に辿り着く。そして、沼地を越え崖を登ると、赤石ダムの駐車場に到着した。

 駐車場には、一台だけ4WDが止まっていたが、証明書が見えたので巡視員の車だった。

下のゲートは閉まっているので、一般車は入ってこれない。

 

 此処で、山師達は水陸両用の靴を陸上専用(私はスニーカー)に履き替えるが、釣師達は、

其のまま。此処まで来たら、まだ、2時前なので下のゲートまで下りてしまうことにする。

 駐車場からは、電力会社のメンテナンス専用道路を歩いて、一気に赤石川まで下り、橋

を渡って奥赤石林道まで再び登る。その後、沢を2つ渡り、尾根を3つ回り込んでやっと

ゲートに達する、2時間以上の長い林道歩きだ。最後の歩行区間なので、ペースを上げて

一気に下るが、さすがに、途中でバテるし飽きる。2日間同じ衣装で、汗にまみれ、雨を

浴び、最後にホコリをまとって、一般常識的なイメージ通りの山男が完成する。

 崖の中の、パイプから流れ出す湧き水に着くと、ゲートは目の前だ。湧き水で手と顔を

洗い、この2日間、着衣がどんなに雨に濡れても使わずに、ビニール袋に入れて取って置

いたシャツとズボン(ヒッチハイク用の特別装備)に着替えて、出来るだけ小奇麗にして、

ゲートを乗越え弘西林道に出た。これで、体育会系は終わり、以後は文化会系。

 

           【 ヒッチハイカー 】

 

 白神山地を、東西(弘前から日本海)に縦断する弘西林道(白神ライン)は、未舗装ながら

観光道路として有名で、一般乗用車も数多く通行する。ゲートを乗越えた場所は、日本海

から35KMで、反対側の車のある暗門の滝駐車場までは15KMと、白神のど真ん中だ。

まだ、午後4時なので、車まで往復1時間、日本海に抜けるのに1時間半、7時には温泉

に浸かっていると、橋の上で、甘い予想を抱いて通りかかる車を待っていた。

 4人の山男とザックでは、どんなに親切な人でも止まってもくれないので、皆は、離れ

た駐車場に荷物と共に隠れて、一人で、荷物も持たずに待つが、やっと来た車は止まって

もくれなかった。さらに待つこと10分、新潟ナンバーのランクルが止まってくれた。

いや、強引に止めた。しかし、観光客の若い男女のペアーは道も解からず、下の暗門の滝

駐車場も知らなかった。運転手は、駐車場まで乗せ下さいとの、此方の説明が理解出来ず

に不安がっていた。助手席の女は相方に、首を最小限の振幅ながら振り必死に拒絶の合図

を送っていた。さらに待つこと10分で、秋田ナンバーのワゴンが止まってくれた。

 

 こんどは、端から運転手ではなく助手席の女を説得する。何処でも(家庭でも車内でも)

権力を持つ人間は同じだ。難しい説明はしないで、ちょっと下の駐車場までという事で乗

ってしまう。車内で、事情を話すと気さくなおばさんは、地形や状況は理解出来ないなが

らも、面白がり、同情してくれた(事故などでなく、好きでしていた事だが)。その時は、

こんな山道でヒッチハイクするのは自分だけだと思っていた。30分以上掛かり、長いの

でおばさん達も驚いていたが、やっと、アクアグリーンビレッジANMONに到着した。

 

 お互いに「良い旅を」と、お礼を言って別れた。5時過ぎ、車に乗り込み、やっと魔法

の絨毯を再び手に入れて仲間の処に飛んで戻れる。黄昏の迫る林道をすっ飛ばす。砂利道

なので、時々スリップするが、対向車も来ないのでライトをハイビームにして飛ばす。

 津軽峠を越して、奥赤石展望所の登りに掛かった時、薄暗い夕闇に包まれた林の中で、

ライトの光の中に人影が浮かび出た。同時に対向車も現れ急停止した。2台のライトの中、

両手を血で染めた男が立ちすくんでいた。男の、目と鼻は腫れ上がり変色していた。

 彼は、今しがた車ごと崖下に転落して、やっと這い上がって来たところだった。大丈夫

かと言う問いかけに、「立っていられるので大丈夫だと思う、レッカー車を呼んで欲しい」

と、トボケタ事を言っていた。自分の立場と状況を理解出来ないらしい。幸運に出会った

対向車の運転手に状況を説明する。(夫婦連れだったが、この場合は男に限る)

 

1.怪我の具合も解からず、もう直ぐ、暗くなり天候も悪化してくるので、一人で残して

  はおけない。

2.私は、この先の山の中に仲間を待せている。

3.貴方の行く方向の方が、はるかに文明に近い。(アクアグリーンビレッジまで30分)

4.其処に行けば、何とか成る。

 

 以上の事を、急いで説明してその場を離れた。理解出来たか心配だったが、此方も急い

でいたので奥赤石展望所に登り、其処から一気に赤石川まで下る。この林道には、殆んど

ガードレールが無い。流石に、少しスピードを落として暗くなった不気味な林道を一人で

下りていった。6時前に、奥赤石川林道のゲート前の駐車場に着いて、心配していた皆の

歓迎を受けたが、一番、ホットしたのは私だった。やっと、全員揃って山から脱出して、

日本海と温泉とバーべキューを目指せる。

 

           【 雨の夜の訪問者 】

 

 運転を小川君に代わって、岩崎村を目指す。詳細は省くが、二つの峠と川を越す雄大な

山岳ロードだ。明るい内は、原生林の素晴らしい景色が続く。暗闇の中、対向車も来ない

ので飛ばしに飛ばす。最後尾の座席の武内は、元々具合が悪かったのか、スッカリ大人し

くなってしまった。そんな事には、全く気づかずに、記録的なスピードで岩崎(日本海)

出てしまい、駅前の酒屋に飛び込んだ。この辺は、夜8時を過ぎると夜間外出禁止令が出

るのか人影が消えてしまい全ての店が閉まってしまう。

 午後7時半、日本海に突き出す半島の上の椿山の温泉に入っていた。真っ暗で、日本海

は見えなかったけど、塩気の強い熱い源泉に山での傷と、何時もの刺激的な温泉だった。

温泉を出て、人並みの清潔なナリで今夜のネグラを探した。この辺では、少し先の高台に

海の見える広い芝生の無料のキャンプ場が在った。

 キャンプ場に着いて、荷物と食料を出し準備を開始した時、突然、スコールの様な風雨

に襲われた。仕方なく、即座に車に撤収して引き上げた。雨は、直ぐに止んだが再び襲っ

て来るのは確実なので、民宿でもと、海岸沿いを南下するが、何処も8時を過ぎると無人

地帯と成り何も開いていない。僅かな記憶と期待で、秋田県まで来てしまった。

 

 秋田県に入って直ぐに、「お殿水」の道の駅が在る。蛾が、光に吸寄せられる様に明る

い道の駅に入っていった。明るくて清潔なトイレも有るし、「お殿水」は名水100選の

おいしい湧き水だ。店は閉まっていたが、立派な東屋が在った。土曜日の夜なので、広い

駐車場には数台の車が散在して、皆、車中で寝ているみたいだ。東屋は、誰も居なかった

ので荷物を運び込んで占領してしまった。雨は、強く降ったり小雨に成ったりするが止む

事は無かったので、椅子・テーブル付きの広い東屋は、理想的な宴会場だった。

 「お殿水」は店の裏手の、光の届かない暗闇の中で、竹の管から静かに流れ落ちていた。

二回ほど、ヘッドランプを着けて水汲みに行った。二回目に東屋に戻ったとき、パトカー

が止まっていた。小川・井野の釣師組が一人の警察官と話していた。武内は、具合が悪く

て車で寝ていた。

 

 警察官は、この地域担当のおまわりさんだった。土曜日の夜の見回り中で、テロ対策も

兼ねていた。検問も、秋田弁なので角が立たない。テロリストの疑いは解いてくれたが、

あまり、この東屋で泊まって欲しく無い様だった。しかし、酒盛りも初めていたので無視

して、天気などを話題に上げて、世間話に摩り替えてしまった。それがマチガイだった。

 おまわりさんは、転勤して来て話し相手が少なかったのか、堰が外れてトウトウとこの

辺の白神市の合併問題などを話し始めた。止まらないおまわりさんに、勤務中なので酒を

勧めるわけにもいかず、此方も飲むわけにもいかず、しらふで地元との懇親会が始まって

しまった。そして、会話に酔ってしまったおまわりさんは、小声になって、遂に、職場の

秘密をバラシ始めた。これは話してはマズイのだがと前置きして、「今朝、この道の駅で

事件が有ってね、検死にきた。」と、「お殿水」の看板の裏での首吊り自殺だったと。

 さらに、向かいの松林では今年の春に、白骨死体が発見された。無謀にも、寝袋一個で

津軽の冬を越そうとして野垂れ死にしたホームレスだったと。30分以上話していたが、

散々、オドシテおいて、「それでは、本官はこれで」と、いきなり話し好きのオヤジから

警官に戻って立ち去っていった。

 やっと、夕食の準備が出来る様になり小川チーフの指揮で、宴会が始まった。暫くして、

武内も起きて来て参加した。食事の後で、酔う前に、「お殿水」に全員で食器洗いと水汲

みに行ったが、私一人を残して、皆、早々に引き上げてしまった。

 東屋の中にテントを張った。山師二人は一つのテントだが、釣師は、贅沢にも一人用の

軽テント二つだ。 「お殿水」からの距離と釣師のイビキの方向で、場所取りでもめたが

直ぐに寝られる様にして宴会を始めた。 おまわりさんの話で、盛り上がり、酒を飲んで、

自殺も、野垂れ死にも負けずにトイレに行けるように酔っぱらってしまう事にする。

 良い感じに出来上がった頃、突然、雨足が強まり、イナズマと雷鳴まで参加してきた。

イナズマに、蒼く浮き出る東屋で、せっかくの酔いも覚め掛かったので、さらに、飲む。

午後11時頃、泡盛の古酒で酔ってしまったので、テントに潜り込んで寝てしまった。

 

 長い一日が終わった。

 

 

 

           【 雨と風に流されて 】

 

9月19日()

 

 夜中の、激しい雨で時々目を覚ましながらも、東屋のおかげでテントが濡れる心配もな

く、幸せを噛みしめながらまどろんでいたが、雨が小降りなった朝5時には起き出した。

一人で、コーヒーを飲みながら夜明けを待つ。前線が通過したのか、昨夜のおまわりさん

の予想通り、天気も少しは良くなりそうだ。

 急ぐ旅でもないので、ノンビリしていても良かったが、おまわりさんに迷惑が掛からな

い様に、道の駅が開く前に野営地を撤収した。市場に行くのは早いので、八森町を偵察し

て、時間を潰していた。昨夜からの大雨で、真瀬川は茶色の濁流と化して、楽しみにして

いた、遡上する鮭の大群は見れなかった。

 

 10時に、開店したばかリの市場に乗り込み物色するが、流石に、秋の気配が満ちて、

夏の海産物の岩牡蠣・あわび・海老は姿を消していた。代わりに、秋刀魚・アンコウ・鮭

が目立っていた。品物を吟味して、秋刀魚・マグロ・平目・タラコ・アンコウを買い込む。

朝飯も食わずに、楽しみにしていた大鍋のツミレ汁は、朝一なのでダシが今一だった。

 その後、能代市に出てバーべキュー用の雑貨も買い込み、何時もの海岸に向かう。この

海岸は、夏が過ぎると静かで、大きな屋根付きのパレスが有り雨が降っても大丈夫だった。

しかし、窓が無く、開放的なパレスは強風と雨には無力だった。地元の1グループだけは、

青い工事用のビニールシートを張り巡らして頑張っていたが、此方は、地元の義理も無い

ので早々に退散した。

 海がだめなら、山へと、水沢ダムのキャンプ場に向かった。此処も、悪天候なので人気

が無い。悠々と、ダムサイトの小高い見晴らしの良い丘にある東屋を占領した。しかし、

炭に火を点けようとした時、突風に襲われた。此処も、退散。

 

 雨と風に追われ、バーべキューの材料を満載して、当てもなく秋田県を南下した。でも、

今日の目的地は玉川温泉なので、途中で東に転進して、何処か、公園の東屋でもと物色し

ながら移動した。午後1時を過ぎ、腹の減った皆が殺気立って来て、何処か橋の下でもと

情けない事を言い出す輩も出た時、車は、比内鳥で有名な比内町の山奥に入り始めた。

 さすがに、バーべキューを諦めかけた時、「ヒヨコ広場」の看板が見えた。駄目元で、

入って行くと、比内町の町営キャンプ場に出た。

 

 まさに、天の助けで、人気も無く・無料で・綺麗で・屋根付きの広い調理場が有った。

調理場には、大きな流しが2列と、バーべキュー用のコンロが数台有った。早速、準備を

開始した。今日のメニューと、4人分の材料費は

 

 1.マグロの刺身      定番だが安くて美味い     1600

 2.平目の刺身         八森の地場産一匹            1400

 3.秋刀魚の塩焼き  刺身用の大型4匹              600

 4.アンコウ鍋        一匹丸ごと、解体済み        500

 5.生タラコとご飯  何時もの大型タラコ         1200

 6.デザート            南ア産オレンジ                 100

 

   酒は、各自好きな銘柄のビール

 

 食べた後の評価は、平目は絶品だが、アンコウ鍋(井野君こん身の力作)は其の上、でも、

秋刀魚は、空前絶後、単に素材のみの塩焼きだが、前生食無(今まで、食べた事が無い)

オレンジは、終局食無(結局、食べなかった)

 全ての、メニューに大満足したその時、お決まりの、豪雨と強風が襲って来たが、広い

調理場は四方開広げながら、落ち着いて後片付けが出来た。3時過ぎに、キャンプ場を後

に八幡平に向かった。

 

 

           【 夜の冒険者達 】

 

 今日の温泉は、八幡平から田代湖方面の途中に在り、古くから、湯治場としては全国的

に有名で、キャッチコピーは「死にそうな病人も、元気になる玉川温泉」だ。八幡平方面

では、後生掛温泉が定番だったが、私以外のメンバーが行った事が無かったので玉川温泉

に決定した。

 午後4時半、混雑した玉川温泉の日帰り客専用の駐車場に到着した。駐車場から、車が、

続々と出てくるので「ラッキー」と入ろうとしたら、係員が「駐車場は5時まで」と警告

してくれた。せっかく来たので、少し戻り、台地の道路脇に駐車して温泉まで歩いて下る。

地獄谷の景色が一望出来た、ムシロを持った岩盤温浴客達が亡者の如くさ迷っていた。

 さすがに、人気の温泉で、湯治場はごった返していた。昔は、千人風呂は混浴だったが、

今は、ど真ん中で仕切られていた。其れでも、総ひのきの風呂は広くユッタリしていた。

100%の源泉は、小さな傷でもシミルと言われているので、50%に薄めた浴槽に入る。

それでも、脛に傷持つ身には、流石に効いて「死人も、立ち上がる玉川温泉」だった。

 

 皆、衝撃を受けたが、大満足して暗くなった温泉を後にして、八幡平アスピーテライン

に向かった。盛岡に出るルートは色々有るが、暗くて、景色も見れないが距離的には一番

近い山越えルートを選んだ。

 ドライバーは、イナズマの井野。アスピーテラインに入り、トロい車一台を抜き去ると、

後は、独走状態で山岳道路を一気に駆け上がる。しかし、頂上付近に達した時、下では、

微かに掛かっていた霧が、突然、ミルク色の濃霧に変わった。流石のイナズマも、ペース

を落としてイライラしながら頂上に向かった。対向車は全く無いが、視界は真っ白に覆わ

れて、センターラインが数メートル見えるだけだった。頂上で、先行車に追い付いた。

 意気地の無いその車の運転手は、ハザードを出して道を譲った。魂胆は、ミエミエだが、

哀しい性で追い抜くと、案の定、ピッタリと追走して来た。コバンザメを振り切る為、

危険を省みずに飛ばすが、流石に、相手の方が有利だ。こんな、濃霧は初めてだった。

 スキー場まで下ると、やっと、霧も薄れて来た。執拗なコバンザメを振り切って、再び

速度を上げる。しかも、今度はダウンヒルだ。ヘアピンカーブが続くアスピーテラインを、

イナズマの如く駆け下りた。

 

 やがて、麓の丘稜地帯に差し掛かった時、また少し霧が出てきた。この辺りに、有名な

廃墟の松尾鉱山跡が在るはずだ。都市の、全ての機能が完全な廃墟と成り、不気味で広大

な無人地帯が夜の闇に潜んでいる。「スゴイ、是非、一度は訪れなければ」と。

 しかし、流石に、ここ数日の出来事で、頭も心も満腹で、誰もその誘いに乗らなかった。

車は、アスピーテラインを降りきり、直線の多くなった道路を爆走していた。

 

           【 夢の前沢牛 】

 

 松尾八幡平ICで、東北自動車道に乗り帰途につく。8時を過ぎて、腹が減ったので、

前沢SAのレストランで、前沢牛のステーキを食べようと思い値段を見ると、注意書で、

  「前沢牛は、品不足の為、同等の和牛を使用しております。」との事、

よけい食べてたくなった。前沢SAは、上下線とも良く休憩するが、前沢牛は一度も食べ

た事が無い。どうせなら、自動車道を降りて前沢町の店で食べたいと思っていた。

 小川君が、前沢一の焼肉店を知っていたので、平泉前沢ICで、東北自動車道を降りる。

以前、盛岡に釣にきて、板室君がスピード違反で掴まった時、おまわりさんが教えてくれ

た店の一つだ。前沢町に着いたが、人通りが全く無い。しまった、この辺りも夜8時を過

ぎると、夜間外出禁止令が出るのか、全ての店が閉まっていた。国道4号線に出て見るが、

前沢牛を扱う店は、全て営業を終了していた。「夢牛幻終」夢の前沢牛は、幻で終わった。

 国道4号線を、そのまま仙台方面に進み、何か、美味しそうな店を期待するが、今回は、

何も現れない。一関ICで諦めて、東北自動車道に乗り南下を開始する。夕食は、何処か

のSAで済ますことにする。

 あせる事は無い、余り、早く帰り過ぎると、武内の乗る始発電車まで時間が余る。

ゆったりと、東京に向かって、東北自動車道を走り続けた。

 

 長い一日は、まだ終わらない。

 

9月20日()

 

 その後は何事も無く、果てし無く続く、深夜のドライブを、運転をこまめに交代して、

東北自動車道をひたすら南下した。朝の3時に、無事、我家に到着した。

 

津軽半島横断ツアー(電光石火、2泊両夜行5日の旅)が終った。

 

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 PS メンバーへ

 

小川君、食料計画と買出し・車の調達、ご苦労様でした。

井野君、一番長時間のドライブと記録撮影、ご苦労様でした。

武内君、調子が悪かったのに、ご苦労様でした。

 

 今回は、天候が不安定ながら事故も無く、計画通りに踏破出来ました。しかし、ルート

を甘く見ていた点があり、分水嶺越えでは、もう少し、位置と方位を正確に測定した後に

行動すべきでした。その、技術・装備・経験は備わっていたので心構えの問題でしょう。

 また、誤算だったのは食料計画です。途中の温泉に有った体重計は、全て狂っていると

思いましたが、家の量りでも同じでした。あれだけの「艱難辛苦」に耐えたのに、なぜか、

500Gも増えていました。今回は食料軽量化との事、「本当?」軽くして、沢山持って

いってカロリーは増えていたのでは?

 

 シカリからの通達です。次回から、食料計画は、カロリーを優先して下さい。

 

「熱減先考」 以上、