秋 三 山 

 

T.日光連山(林道の対決)   2003年 9月

U.白神・赤石川(マタギ道で) 2003年10月

V.奥秩父(縦走路での遭遇)  2003年11月

 

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T.日光連山(林道の対決)

 

 9月、計画していた白神山地への遠征は台風で中止、ポッカリ空いた連休の休暇を近場

の山で消化することにした。 食料と装備は、白神の分を少し流用して日光連山の縦走を

計画する。いつも、車でのUターン型の行動が多いので、電車利用の日光・霧降高原から

戦場ヶ原に抜けるIモード型にする。

 一泊二日の小屋泊まりで、霧降高原・赤薙山・女峰山・唐沢小屋・帝釈天・富士見峠・

小真名子・大真名子・志津乗越・戦場ヶ原までのコースだ。二千米級の五つのピークと、

三つの峠をめぐる、焚き火無し、沢無しの縦走路の歩きのみ。

 こんな、水気の無い計画に付き合うのは、武内しかいない。秋の夜長を、高山の小屋で、

澄み切った大気の、素晴らしい星空でも眺めようと誘って、東部日光駅で待ち合わせた。

一番バスに乗って霧降高原に向かった。霧降高原のスキー場に入り、当然のごとくリフト

券を買ってズルして上まで(1600m)登ってしまう。天気は曇りで、台風の影響で結構

風が強いので、風に煽られ、フラフラしながら縦走路を歩き出す。最近は、血圧の薬のせ

いか朝一番の動きはかなり不安定だ。

 

 途中、赤薙山(2010m)の登りで夫婦連れを追い抜いた。女房は軽装で、亭主は異様

な出で立ちだが、何処が異様かは、ハッキリとは解からなかった。赤薙山を過ぎ、晴れて

いれば運竜渓谷と赤薙の崖が見えるはずだが、残念ながら曇の中、視界は閉ざされていた。

狭い尾根道で、単独行の青年を追い抜くが、やはり、台風が影響してか今日の登山者は、

これで、全てみたいなので、今夜の宿泊予定の唐沢小屋はガラガラだ。

 

 赤薙山から2時間の峠に、湧き水が有った。登山道から少し離れて、崖に差したパイプ

から流れ出ていた。水の味は普通だが、湧いている位置と高度の為に貴重な湧き水だ。

其処からは、いよいよ、女峰山への登りが始まり、痩せ尾根の苦しくキツイ登りが続くが、

高度が上がるにつれ、少しずつだが雲も見晴らしも開けてきた。連休中の従走路なのに、

先行する登山者は見えなかった。約一時間で、女峰山(2483m)の頂上に到着したが、

やはり、誰も居なかった。

 少し、休んでいたが、晴れていれば素晴らしい眺望も、雲に閉ざされていた。今日の、

泊まり場の唐沢小屋を目指して、急な斜面を下りだした。知らないと、ビックリする急な

尾根と、崩れそうな大きなガレ場を横切る、結構、危険な道だ。20分後に、平地に下り

て落ち着いた森の中の唐沢小屋に着いた。今朝から、約5時間の尾根歩きで、少々物足り

ない。少し遅れて、単独行の青年も到着した。

 遅い昼食の後に、下の水場に、小屋に有ったペットボトルを持って水汲みに行った。

10分で、暗い林の中の急斜面から流れ出す湧き水に着いた。此処の、水は冷たくて味も

一級品の名水で、これほどの高度にあるのは目面しい。しかし、登りがキツイので、水を

持って小屋に戻るのが大変だった。

 

 夫婦連れが、やっと小屋に辿り着いた。旦那は、余程、バテたのか小屋の椅子に座り込

んで動かなかった。そして、水汲みにも行かない内に暗くなってしまった。しかし、途中

の水場で汲んだ水を持っていたので、食事の準備を始めた。不思議な事に、それ程大きな

ザックでもないのに、食料や炊事道具が次々に出てきた。家庭用の卓上のガスバーナーに、

調味料のビンなど。キュウリの漬物もビン詰めで、山用の装備ではなく、下界の家庭環境

を山に持ち込んで来ていた。

 小屋の広間のテーブルの向側に、一般家庭の食堂が再現されていた。料理は全て、女房

の指揮のもと亭主が作っていたが、疲れて、動きの鈍くなっている亭主に容赦なくハッパ

を掛けていた。あまり面白すぎるので、魔法のザックから次は何が出てくるのか、そっと

見ていたが、流石にネタが切れたみたいだった。しかし、食後の酒はやはり壜ウイスキー

のダルマが出てきた。その後のコーヒーブレークでそれは起きた。

コーヒーは当然、壜のインスタントでその濃さでちょっと揉めた。亭主が一瞬、反抗的

な気配を目に宿したが、瞬間、女房の一睨みであっと云う間に鎮圧された。しかし、点火

された業火は、攻撃の矛先を求めて此方に向けられた。油断していたので、一瞬、防御が

遅れた。でも、幸い何事も無くその後は小屋に平和が訪れた。

 

 もう一人の同宿者の単独行の青年は、大阪から、栃木市行きの夜行バスに乗って来て、

明日の夜行バスで大阪に戻る予定だった。両夜行のバス利用で、関東の有名な山を漁って

いた。夜中まで時間を潰す為、栃木市の温泉情報を知りたがっていたが、以外にも、夫婦

連れと意気投合して、下山後に、夫婦の車で栃木市の温泉に同行するみたいだった。

 霧降高原に車を駐車しているので、明日の下山ルートは、直接、日光市に下りる、寂光

滝ルートに決めた様だが、約5時間の難ルートだ。皆、明日はキツイので早寝した。

今回の目的の、秋山での星空は、小屋の周辺の夜霧と霧雨で視界はゼロだった。

 夜中に、突然の豪雨が小屋を襲った。雨は、トタン屋根を激しく叩き、小屋を押し流し

そうだった。それでも、小屋の中は安全だ。こんな夜に外には居たくない。

 

 朝6時、天気は回復して、真っ青な空が輝やいて、風も穏やかだった。縦走路に出る為、

再び、女峰山に登り直す。頂上は、昨日と違い360度の眺望に恵まれ、これから先の、

小真名子・大真名子と男体山に続く起伏の激しい稜線もハッキリ見えた。

 女峰山から帝釈天の間は、左側がスッパリ切れ落ちた岩尾根が続く。結構、見晴らしが

良く適度なスリルが続く尾根道だった。帝釈天から富士見峠へは、一転して深い森の中の

下降が続く。適度な傾斜の粘土質の道を、勢い良く下ると、森がイキナリ開けて富士見峠

に降り立つ。落ち着いた峠は、休憩にピッタリの場所だ。峠には、林道が通っている。

下に、車止めのゲートが有り、一般車は通行出来ないが、歩けば、小真名子・大真名子の

ピークを捲いて志津乗越に抜けられる。此処で、縦走を止めて逃げる事も出来るが、二人

とも快調だ。特に相棒は、テニスのトレーニングが効いて絶好調だった。縦走路は、峠の

反対側の、暗い森の中に登り道が続く。

 

 小真名子は、2322mの円錐形のピークで、富士見峠からは、約1時間、300mの

ガレ場の急登で、かなりキツイ。頂上には、銀色の大きな電波反射板が設置されている。

隣の、大真名子2375mのピークへは、一旦、鷹巣2110mまで急下降して再度、

登り直す。鷹巣の直前で、今朝、志津乗越を出発した登山者と初めてすれ違った。鷹巣は、

深い森の中の峠で、見通しは全く無い。其処から先も、森林帯の急な登りが続くが、対向

者が増え始めた。約1時間(小屋から5時間)で、見晴らしの良い大真名子に到着した。

女峰山の眺めも素晴らしく、今朝、出発した唐沢小屋も小さいが、ハッキリ見えた。

 狭い頂上の大真名子には、志津乗越からの登山者が結構いた。素早い昼食後に、下降を

開始したが、梯子や鎖場が現れて、登山者もいるので結構、時間が掛かった。 しかし、

全行程を天気も良く夏山の様な暑さも無いので、快適に、悪い癖だが一気に情緒無く風の

様に通過してしまった。

 昼過ぎに、志津乗越(1785m)に着いた。此処から、男体山を越えて中禅寺湖へも下

れるが、すでに、水も、体力とやる気も無くなっていたので戦場ヶ原に向かった。

 

 戦場ヶ原へ下りる林道は、殆んど、舗装されていて、裏男体山林道の名の如く男体山を

回り込んで光徳牧場の近くを通り、国道120に出る。しかも、この林道は、山一つ分の

長さ(太郎山2367m)を横切る、歩くと、約2時間。駐車場には、男体山や大真名子へ

の登山者の車がビッシリ停まり、路上駐車している車も有った。これだけ居れば、其の内、

誰か乗せてくれるだろうと、戦場ヶ原へ向かって、ノンビリと下り出した。しかし、現実

は結構厳しくて、二人のむさ苦しい山男と汚いザックは、下山する車に敬遠され、無視さ

れた。舗装され、カーブの多い林道を下るが、結構、自然林に覆われた道は、時々、二人

を無視して走り去る車以外は、静かな山道と云えた。

 

 途中、林道が九十九折になった処で、道の間の暗い林の中を高速で移動する影を見た。

最後の一体が静止して、こちらを見た。例の如く、また、一人だった。二人は、林道では

好き勝手に行動する。

 

 そいつは、猿と云うより、猩々か猿人の雰囲気だった。此方を、見下して様子を覗って

いた。 ま!、此方のほうがよそ者だけど。一応、護身用に木の枝を物色して、適当な枝

を拾った。そいつは、まだ、暗い林の入り口の大きな木の根を盾に、ちょっと首を傾げて

此方を覗っていた。その暗い、穴の様な目を見たのが間違いだった。目を通して、そいつ

の人間に対する想い(恨み・軽蔑・哀れみ)が押し寄せて来た。

 

「ヤルキカ?」「いや、別に」

「ジャー、ソノエダハナンダ?」「いや、別に」

「ナニカヨウカ?」「いや、別に」

 

 折角の、昼下りの決闘に邪魔が入った。後方の気配を感じて、そいつは森の奥に消えた。

後ろを見ると、相棒がダラダラと下って来ていた。

 

 坂道が終わると、戦場ヶ原に続く唐松の林に入った。その唐松の林は、大学の研究林で、

鹿避けの金網が彼方此方に設置されていた。やがて、林道は光徳牧場の敷地に入っていた。

連休なので、家族連れの観光客も多く、車も、人も上世界と違い賑やかだった。光徳牧場

の、以外に空いていた温泉に入り、3時のバスで日光に下りた。

 東武日光駅で、浅草行きの特急に乗る武内と別れて、JR宇都宮線と連絡するため、

準急にビールを片手に乗り込んだ。体は、結構くたびれていたが、山での想いをハンスウ

しながら帰って行った。

 荷物を、整理していて気が付いた。ヘッドランプが無い。確か、食事のとき、山小屋の

柱の釘に電灯代わりに掛けた筈だが、今まで、その事が、記憶から綺麗に消されていた。

そして、気が付いた。あの魔女の攻撃は見事に成功していた。

 


U.白神・赤石川(マタギ道で)

 

 10月、例年は禁漁期に入り、釣行も来年まで休止になるが、最近は釣りをしないので

計画を立てる。なんと言っても、今年は初夏の山行は雨に祟られ、秋の連休の計画は台風

で中止になり、此の侭では終われない雰囲気になっていた。この季節は、気温が下がる事

を除けば、天気は安定し、害虫も入山者も少なくなり静かな山行が期待出来る。

 

 今回は、パーティーを二つに分けて、別々の行動の後に、再び合流する計画を立てた。

釣師組の三人は、赤石川の二股でキャンプ後に、車で、青秋林道の「二ッ森」に向かう。

山師組の二人は、赤石川の二股から、奥二股を経て、泊沢を登って「二ッ森」に向かう。

最後は、青秋林道の「二ッ森」駐車場でお昼に落ち合う、赤石川の完全遡行が目標だった。

 

 毎度の、真夜中のドライブで、東北自動車道から弘西林道で、奥赤石林道の駐車場まで

一気に走る。此処から、徒歩で赤石ダムまで登るので、ザックを降ろして山旅の準備をし

ていた。しかし、何時もは無人の奥赤石林道のゲートに門番が居た。小川君が、様子を見

に行ったが、中々戻って来ない。何か、門番と揉めていた。しかし、小川君はニコニコし

ながら戻って来た。営林署からもらった入山許可書を立てに、門番を屁理屈で説き伏せて

ゲートを開けさせた。門番は、赤石ダムで工事中の建設会社の民間人だったので、役所の

文書には弱かったみたいだ。毎年、青森県営林署に申請して、入山許可書を郵送して貰っ

ていたが、初めて役に立った。いずれにしても、二時間の林道歩きが一瞬にして終った。

 しかし、赤石ダムの広い駐車場は、工事関係者で混沌としていて、殺気立っていた。

プレハブ事務所と工事資材と関連車両で、まるで、西部開拓時代の鉄道工事現場だった。

車は、とても停められるムードでは無かったので、少し離れた場所に駐車した。素早く、

準備を完了して、工事現場をすり抜けて、ダム湖に降り立った。

 

 ダム湖の状況は、工事の影響で微妙だった。湖水は、殆んど無かったが、枯れてはいな

かったので歩くのは危険に思われた。湖岸の、マタギ道で上流を目指した。ブナの大木の

森から湖への下りで、見事な、なめこ(多分)の大群を見つけた。自信が無いのと、先が長

いので採取できなかったが、帰りなら絶対食べていた。ダム湖から、二股までの赤石川は

通い慣れた道筋なので、秋の気配を楽しみながら、ゆっくり登って行った。

 釣道具は持っていないので、川の中に殺気立った視線も送らず、何気なく観ていると、

今年の赤石川は、異様に岩魚が多い。それも、大型が数多く見られた。完全禁漁の成果が、

こんなに早く現れていた。林道を車で登れたので、何時もの、二股のテントサイトに早め

に着いてしまった。ゆっくりと、赤石川の午後のひと時を過ごした。

 

 

 二日目の朝一番、長年の望みだった赤石川の遡行へと、車へ戻るパーティーと分かれて、

二日後の再会を約束して、キャンプ地を出発した。 今日の泊まり場の奥二股への行程は、

途中までは、何回か釣りで遡行している。相棒と、紅葉し始めた静かな森に囲まれた赤石

川を、二人で登り始めた。高気圧に覆われた天気は最高で、好天が続きそうだった。

 川には、岩魚が溢れていた。本流脇の、浅い流れにウッカリ踏み込むと、産卵で、乱交

パーティー中の岩魚を愕かせてしまう。逃惑い、パニックに成った岩魚は浅い流れの中で

グルグル回っていた。

 川原の砂地や石の上に、熊の足跡が有った。かなり、ハッキリした大きな足跡だったの

で、護身用にと、木刀より太い木の枝を拾った。相棒も、木の枝を持った。でも、そんな

細長い小枝で、一体、何をするつもりだ。実用性より、見栄えと軽さで選んで。

 熊は、非常に神経質でシャイな生き物なので、奥地では、人間より自由に行動出来る為、

滅多に人前に姿を見せない。選択権を持っているのは熊の方で、何十年、山の中をうろつ

いていても中々遭遇出来ない。

 其の時、そいつはイキナリ襲って来た。幸いだったのは、寒さで鈍くなり全盛期の動き

ではなかった。ヨロヨロと飛んで来て、耳の近くでブンブン唸っていたが、簡単に、払い

落とせた。砂地でもがいていたのは、大きな、熊蜂だった。簡単に踏み潰せたが、別に、

危険では無いので其のままにして置くと、また、ヨロヨロと飛び去って行った。

 

 黒滝まで、登っていた。此処は、赤石川でも渓流美では一番のポイントで、幾つかの、

滝と岩場が組み合わさり、見事な峡谷を形成している。それ程、難しくない岩場を歩いて

行くと、岩と、緑の木々と、蒼い淵と白い滝が次々と繰広げるショーが続く。

 其の区間を過ぎると、また穏やかな流れが延々と続く。川が、大きく曲がった処からが

未知の世界だった。谷が狭まって来た地点で右に曲がると、突然、最高の舞台が広がった。

大ヨドメの滝だ。広く深い、滝壷のプールの先に、まだ、大きな川の赤石川の全水量が、

一気に狭まり落下していた。二十m以下の滝だが、優雅さと迫力が両立した見事な眺めと

音響だ。右手の壁は、絶望的に切り立って考えるまでも無いが、左手には、弱点が在る。

滝の壁を登るか、草つきの斜面を巻くか。10月で、水に落ちると冷たそうなので、疲れ

そうだが、草つきの捲き道を登る。急な斜面を、草や木の根を掴み、木の枝にぶら下り、

滝より遥か上の尾根を越した。今度は、川に向かってザイルを使って下降する。

 

 その先、赤石川は深い森の中を穏やかに流れる。そして、森が開けた時、右手から一本

の沢が合流していた。最初は、見知らぬ場所だと思ったが、良く見ると、今日の目的地の

奥二股だった。右手に有った大木が根元から倒れていたため、辺りの様子が明るく成って

いた。午後一時、早すぎる到着だった。しかし、奥二股の野営には、山菜取り、薪拾い、

付近の散策と時間は多いほど良い。全ての準備が整い、夕暮れの中で、焚き火が始まり、

何時もの奥二股の夜が始まった。

 

 三日目の朝、今日の天気も全く心配なく、秋晴れが続いていた。別れた仲間達と、お昼

に、上の駐車場での再会を約束していたので、朝六時に、奥二股を出発した。此処からは、

知っているルートなので、行動予定が立てられる。赤石川も、泊り沢と名を代えて源流の

峡谷になり、谷も空も、両側の切立った壁が迫って来て狭くなった。

 天気が良い上に、この辺りから、紅葉がピークを迎え、秋の深山の沢登りとなった。

魚止めの滝を過ぎて、大滝の側壁と、その上の連続する小滝を登ると、三つ滝に出た。

三本の沢が集まる三つ滝は、何時もは、真中の本流を登って行くが、今日は、左の沢を選

ぶ。多分、マタギ道が左上方を横切っていて、左の沢が、直に交差すると予測した。

 沢を登っていくと、段々、水が細くなり、傾斜も増して、グングン高度を上げて行った。

海抜800mの辺りで、休憩した。もうすぐ、マタギ道に出会う筈だ。

 

 人気の、全く無い赤石川の源流で二人きりで休憩していると。その、贅沢さに突然、気

が付いた。周りの木々が見事に紅葉しているのは当然の事、近くの森も、さらに、見渡せ

る全ての山々の紅葉も最高の状態だった。この地点の紅葉のほんの僅かな期間に巡り合い、

たった二人の観客の為に設定された、最高の舞台を鑑賞していた。

 美しく、哀しくなる程の景色の中で、登攀が再開された。 水が枯れた、谷を遡ると、

連続した枯滝が岩場となって現れた。乾いた、岩を快適に登って越すと沢は終っていた。

 

 其処は、すでに、二ッ森登山道の下のブッシュ帯だった。数年前、この付近のマタギ道

で迷って、ビバーク(強制野営)した事が有った。予想はしていたが、何かに導かれる様に

歩いて行くと、まさに、其の野営地点に戻っていた。数年前、出発したままの状況が保た

れていた。荷物を軽くする為に置いて行ったテントとグランドシート、其の前日に拾った

ナタまで有った。タイムスリップして、其の時に、戻ってしまったみたいだ。

 此処なら、土地勘が有るので、ちょっと下に戻って右に行くとマタギ道に出てと、歩き

出した。暫らく行くと、また、同じ場所に戻って来てしまった。一瞬、パニックに襲われ

たが、あの時とは違い、今は、この付近の地形は全て把握している。落ち着いて考えると

道が解かった。水の流れた跡を辿れば、あの湿地に出れる。そして、其処からは何時もの

マタギ道で抜けられる。

 

 源流の、ブッシュ帯を突破すると、二ッ森への登山道に直に出た。突然、状況は劇的に

変わり、白神世界遺産観光自然道路と成り果てた道を、ガイドに引率された登山者の団体

が、行儀良く並んで歩いていた。相棒と二人で、例の、挨拶攻撃に晒されて下って行った。

青秋林道の「二ッ森駐車場」には、11時前に到着してしまった。源流の放浪者の格好で、

着替えが無いため観光客に変装も出来ないので、目立たない様に、見晴し台の下に隠れて

居たが、家族連れに見つかってしまった。

 待合せには一時間以上有ったので、観光バスや、登山者の車で混雑した駐車場を避けて、

海に向かって林道を下りだした。舗装された、なだらかな道を歩いていると、谷を渡り、

遥か彼方の尾根まで水平に山腹を巡る、気の遠くなる行程が一望出来た。歩いている人間

は二人だけ、車の往来さえ稀な道だ。後悔してから一時間、やっと、見覚えのあるワゴン

が登って来た。12時半、着替え等の荷物と再会して、さらに嬉しいのは、仲間と再会し

た事だ。五人揃って、日本海の旅に繰り出して行った。

 

 


V.奥秩父(縦走路での遭遇)

 

 11月、会員は、今年の山行に満足して冬眠に入って連絡も途絶えが、連休の素晴らし

い天気予報に誘われて一人で山に入った。目指すは、広大な、秩父山脈の背骨に当たる、

広瀬ダム・雁坂峠・雁峠・笠取小屋・将監峠・飛竜山・三条のタル・雲取山・奥多摩の、

三つの峠と無数のピークを辿る秩父主脈縦走路の東部の、通常は、二泊三日のコースだ。

 西部の、金峰山から甲武信岳を経て雁坂峠までのコースは、前に、やはり晩秋の一人旅

でトレースしていた。

 

 朝一番の電車の、あずさ51号で新宿から塩山に向かった。九時前に着いた塩山駅には

バスがまだ無かったので、同じ列車の、西沢渓谷に向かう4人と合い乗りしてタクシーで

広瀬ダムに向かった。ダムサイトの道の駅から、雁坂峠登山道に入り、雁坂トンネルの料

金所の脇を通って林道に出る。林道を暫らく行くと、沢沿いの山道に入り雁坂峠を目指し

て高度を急速に上げていく。

 隣の、人気のある西沢渓谷と違い、連休前の平日なので人影は全くない。風が、少し有

るが晴れて肌寒い気候に、ペースを上げて、雁坂峠から水晶山・古礼山・燕山を経て雁峠

に到着した。山の季節は、早くも晩秋で枯れ木が目立った。人気の無い、寂しい雁峠で考

えた。次の、目的地は将監峠だが、ルートが二つ有る。一つは、このまま笠取山に登り、

2000m級の山の尾根を縦走して将監峠に下りるルートだ。もう一つは、すぐ下の笠取

小屋に下りて、将監峠を目指して山腹を平行になぞるルートだ。両方とも、3時間以上か

かり、今から頑張っても暗くなってしまうと思ったので笠取小屋に向かった。

 直ぐに、小屋に着いた。綺麗な小屋で、小屋の前に水も流れていたが、誰も居なかった。

小屋には当然、鍵が掛かっていたが、期待していた冬季用の無人小屋も、頑丈にロックさ

れていた。野宿する装備は一式持っていたが、寂しすぎて気が乗らなかった。最悪、途中

で野営しても良かったので、もっと大きな将監小屋に行って見る事にした。

 

 夕暮れが近い午後3時過ぎ、笠取小屋から将監小屋へ向かう。セピア色が漂い出した、

平坦な広い山道を急いでいた。伐採された広場に出た時、切り株に一匹の黒い犬が座って

いた。困惑・不安・少しの恐れ、実は、犬は苦手で大嫌いだ。敵を探っていると、向こう

も観察している。犬の事は嫌いで詳しくないので、正確な種類は分からない。それほど大

きくはないがエクソシストに出てくる様な不気味な犬だった。犬は、右手の林に走り込ん

だ。そして、幻覚に思えたが、その犬の後を大きな黒い犬が追って行った。

 山道は、犬が消えた方向へ曲がっていて林の陰になり先は見えなかった。すでに、右手

には、杖の代わりに手頃な枝を持っていたが、さらに、もう一本長くて丈夫な枝を探して、

左手に持った。道を曲がると、見通しが開けた。そして、其処には、2頭の犬が待ち構え

ていた。それは、予想はしていたが、現実には遭遇したくない最悪の状況だった。

 山で、野生の動物や生物達に遭遇するのは、素晴らしい時(カモシカなどの大型動物)も、

危険な時(大型スズメバチ)も、ゾットする時(特にスネーク類)も有るが、全て、予想され

た範囲内の出来事なので、落ち着いて対応出来る。しかし、深山での犬との対決は、考え

もしなかった。

 

 一匹は、耳の垂れた真っ黒な中型犬だったが、もう一匹は、正に、悪夢の具現化だった。

耳がピンと立った、巨大なドーベルマンが、首を真っ直ぐもたげて睨んでいた。余りの、

非現実的な状況に、頭の中が真っ白に成り、立ち竦んでしまっていた。気が付いた時には、

既に、例の睨めっこ(先に目を逸らし方が負け)が始まってしまっていた。お互いの考えが

読めない、緊張した時間が過ぎて行き、プレッシャーに耐え兼ねて逃げ道を探し始めた。

 その時、最悪な考えが過ぎってしまった。もしかして、二匹だけでなく野犬の群れでは

と、後ろにも横にも居て、群れに囲まれているかも知れない。パニックに落ちる寸前に、

左手の枝を相手に投げつけていた。

 拮抗した勝負では、必ず、弱者が先に動き出す。ドーベルマンは、投げられた枝を開戦

の合図とは取らずに、降伏の印しと思ったか、右手の藪に飛び込んで行った。もう一匹の、

子分か彼女(又は彼氏)も、後を追ってガサガサと藪の中を立ち去って行った。

 薄暗くなり始めた、林の中の山道で、一人で立ち竦んでいた。脱力感で、急にザックが

重く感じられたが、時間と先行きの長さを想い、急いでその場を立ち去った。歩き出すと、

頭も動き出して、恐怖感が襲って来た。何度も後ろを振り返り、山道を連中が追って来な

いか確認した。平坦な道を、飛ばしていると、藪から大きな鹿が驚いて飛び出して行った。

此方も、犬の件が有ったので愕いたが、最近、何処の山でも鹿が増えている。

 

 ルートは、山腹を忠実になぞり、幾つもの尾根を回り込み、谷を横切り曲がり句ねって

続いていた。谷を横切る処は、大抵、出水のせいで荒れていて、梯子や金属製の橋が掛か

っていた。山越えより平坦なルートで、飛ばせば楽に将監峠に着くと思ったが、谷で道が

崩壊している処で時間を取られた。飽きるほどの尾根と谷の繰り返しで、夕闇が迫った頃

に、やっと最後の大きく崩壊した谷に辿り着いた。慎重に、谷を渡ると完全に暗くなった。

五時半だが流石に、今までのペースは諦めてヘッドランプを着けてゆっくりと歩き始めた。

犬の事も有り、野宿する気はまったく無く成っていた。

 暗闇と共に、気温が下がり霧が出て来た。しかし、夜の山がこれほど賑やかとは思わな

かった。直ぐ側の藪で、大型のケモノがガサガサ通り過ぎ、林の中では何者かがキーキー

わめきながら此方の移動する方向へ憑いて来る。少し、道に迷いながらも将監峠に辿り着

いた。峠は、広い野原で、山小屋へは右手の谷を下って行く。

 小屋へのルートを探すのに、暗闇と、霧の組み合わせは最悪だ。おまけに、谷は広がり

余計に小屋が見つけにくくなり、素通りする危険さえ考えられた。しかし、暫らく下ると

真っ暗な闇と白い霧の中から、中のランタンがボーと光るテントが浮き出てきた。そして、

豊富な水の流れと、窓の明かりと大きな小屋が霧の中から現れた。明るい、小屋の中には

数人の登山者が泊まっていた。小屋は、老夫婦が賄っていたが、六時と、遅くなっていた

し、食料もタップリ持っていたので、食事なしの素泊まりにしてもらった。夜中に、霧雨

が降り始めた表のトイレに行った時に、いきなり、小屋の大きな白い犬に吠えられた。

犬が、マスマス嫌いに成った。

 

 次の日の朝は、疲れてはいたが早めに起きた。霧雨の、暗い空だったが天気は好転する

予報だった。今日は、雲取山に向かい、調子が良ければ、一日予定を早めて奥多摩に下る

予定だった。連休に入ったので、従走路も登山者が増えて、特に雲取山は山小屋も混雑す

るだろう。

 

 将監小屋のオヤジに、昨日の犬の話をすると、

「下の犬は、全部知っているが、そんな犬は見た事も聞いた事も無い」

と言っていた。

 

2004年10月20日 K.T